ダンレボ・ダイエット

「ひとりやとヒマやろうし、買ったらいいんちゃう?」

母のその一言で、ひとり暮らしを始めるときにPlay Stationを購入した。

そのとき、一緒に買い求めたゲームソフトが「ダンスダンスレボリューション」だった。ゲームで遊ぶためというより、どちらかと言えばダイエット目的としてそのゲームソフトと専用コントローラーのパッドを買い求めた。

1999年の春、大学進学のために神奈川でひとり暮らしを始めることになった。はじめの1ヶ月くらいは母が一緒に暮らしてくれた。過保護と言われればその通り。大学に少し慣れるまでのあいだ、母が炊事と洗濯を手伝ってくれた。もっとも、母は暇を見つけては鎌倉や横浜元町などの観光に出かけていて、意外と楽しそうに暮らしていた。

過保護にも母が約1ヶ月も一緒に過ごしてくれたのには理由があった。私は中学生のころから摂食障害を患っていた。拒食症でほとんど食事を受け付けない時期もあった。けれど、高校三年生になると正反対に針が振れ、受験のストレスから過食にするようになっていた。とにかく食べてストレスを発散しないと、気持ちが落ち着かなかった。ストレス発散のために食べ続けたので、体重はぐんぐん増えていった。卒業式の制服のスカートは苦しくてホックは閉まらなかった。

「ダンスダンスレボリューション」はその当時ゲームセンターで大人気だったが、プレステのゲームソフトとして発売されものだ。画面に流れてくる矢印に合わせて左右のステップを踏む。プレステで遊ぶときはコントローラのボタンをリズムに合わせて押す。しかし、専用コントローラーはマットのようになっていて、ゲームセンターと同じように足で矢印を踏むようにできていた。

母は、私が大学に通いはじめたときに「太っているのを気にして、また食事をしなくなるんじゃないだろうか」と心配してくれていた。はっきりとそういわれたわけじゃない。けれど、「ひとりで色々やらなあかんし、よく動くやろうから体重も減るやろ」とか、「家から大学までが一駅やから歩いたら痩せるんちゃう?」など無茶な食生活にならないように、私に言い聞かせるように話していた。

そんなとき、テレビで「ダンスダンスレボリューション」のCMを見た。私が「これ、痩せそうやなあ」と、何気なく言った。すると、母は「買いにいこうか?」と言い出した。ひとり暮らしの部屋には必要最低限なものしか置かれていない。プレステは高価だったし、母の一存で買っていいものだろうか? それでなくても、これからひとり暮らしのためにお金がたくさんかかる。ムダ遣いはせず、節約第一の母がそんなことを言うとは思わなかった。

「ひとりやと、こうして話をする時間もなくてヒマやろうし。買ったらいいんちゃう?」

それ以上、母は何も言わなかったけれど、このゲームで遊びながらダイエットに励んでほしいと思ったのだろう。母が実家に戻る数日前に、ふたりで近所のゲームショップに向かった。プレイステーションとダンスダンスレボリューションのソフト、専用パッドの箱を母とふたりで抱えて持ち帰った。

ひとり暮らしのための必須アイテム、とは言えないだろう。けれど、私は母が実家に戻ってから、暇があれば毎日ダンレボに明け暮れた。母がいなくなって、ふたりで過ごすには少し狭かった部屋は広くなった。けれど、やっぱりそれは寂しかった。昨日まで母がそばにいたのにと思うと、さみしくて涙がこぼれた。さみしさを振り払うように、とりあえずダンレボをした時もあった。私の部屋はアパートは1階だったので、「ドシドシうるさい!」と言う苦情が出ることもなかった。

リズム感がなくて、練習用の一番簡単なものでも全然足がついていかなかった。一拍遅れたり、専用パッドですべってうまく足で矢印が押せなかったり。しかし、何度も繰り返していくうちに、「次は上、次は右、次は……」と体が覚えていて、軽快とは言えないけれど、なんとなく足が動くようになっていった。

ほんの少し身体が軽くなってきたころには、専用パッドを広げることも無くなってしまった。専用パッドの反応が悪くなってきたのだ。大学生活にも慣れて、ダンレボでさみしさを紛らわせる必要がなくなったのも理由のひとつだろう。

それでも、母と一緒に買いに行ったプレイステーションは、ひとり暮らしをはじめた思い出として忘れられない。



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