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地中に存在する、ある大帝国について。

どうも今年は、電車の中でセミに遭遇することが多い。少しまえに、姿を見せずに鳴き続けるセミに遭遇した話を書いた。

このnoteを書いた数日後に、また電車の中でセミに遭遇した。

その日の車内はわりと空いていた。いつも乗っている大学生らしき人たちの姿はなくて、夏休みに突入したんだなあと思いながら、ぼんやりと座っていた。私の右隣には、ハンチング帽を被り、ポロシャツを着たおじいさんが座っていた。すでに定年退職をしているくらいの年頃だけれど、どことなくシャキッとしているように見えた。「この人は今日は銀行か証券会社にでもいって株の相談とかするのだろうか?」と思わせるような、そんな印象だった。

乗降者の多い駅で、バラバラと電車内の印象が変わった。座席の前に立つ人が増えたようだった。私は相変わらずぼんやりとスマホを見ていたし、右隣のおじさんは、スマホでニュースサイトを見ている様子が、目の端にちらりと映った。

その時、私の前に立っていたおじさんが、首もとをババッと手で払う素振りをした。「なに?」と思って、私は顔を上げた。おじさんの斜め後ろにはおじさんの奥様が立っていたらしく「あんた、どうしたの?」とひそひそと声をかけた。服装から察するに、会社の振り替え休日にご夫婦でお出かけ、という様子だった。

「いや、何か、ごそごそするな、と思ったら、肩のところにセミがとまってて。思わず払ってしまった。いまは、あの、ここにセミが停まってしまって……」おじさんは、そういいながら、私の左隣のおじいさんのハンチング帽を指差して、「もし、すみません。帽子にセミが……」と忠告したのだ。

帽子にセミがついてますよ、と電車の中で教えてもらったら、どうするのが正しいのだろう? 私は、一瞬ながらに考えてしまった。たぶん、私だったら「うわあ」と言って、帽子を脱ぐか、ババッと手で払って、セミをどかそうとするだろう。そして、セミは飛び出して、電車内はちょっとしたパニックになるかもしれない。

うーん、どうしたものかと考えていたら。右隣のおじいさんは「あ、そうですか」と言って、そっと左手でハンチング帽を脱いだ。そして、そのままハンチング帽に停まっているセミを右手で捕まえた。本当に、何ごともないように。そうして、また、左手でハンチング帽を頭の上に乗せた。

おじいさんの右手の中にはセミがいる。

なんだか気になって、チラチラと見てしまう。おじいさんは、何ごともなかったように左手を駆使してスマホでまた、ニュースサイトを見ようとしている。時々、セミは「ジジッ……」と声を発するのだけれど、鳴こうという気持ちにはなれないのか、じっと静かにしていた。

おじいさんは、平静を装っていたけれど、時々「うーん」と小さな声を上げてはそっと掴んだ右手のを見つめたりもしていた。ひょんなことからセミを捕まえたはいいけれど、一体どのタイミングで離すべきなのだろう? と悩んでいたに違いない。電車の中で離すわけにはいかない。けれど、(私はどこだか知らないけれど)目的地の駅に降りても、駅の構内で離してしまって良いものだろうか? とか、いろいろ悩んでおられたに違いない。

セミはおじいさんの手の中で、一体どこまで旅をしたのだろう? 私は乗り換える駅で席を立ったのだけれど、おじいさんとセミは、まだ降りる気配はなかった。


セミの一生は、土の中で何年もいて、地上では数日しか生きられないのがかわいそう。夏になると良く耳にする話だ。

「いや、地上に出るのはたったの数日でもさあ。もしかしたら地下で何年も過ごしているうちにセミの大帝国みたいなのが作られてたりして。むしろ地下が住みやすいからずっといるんじゃないの? 本当は地上に出る必要がなければそのまま地下にいたいんじゃない?」といった友人の言葉が忘れられない。

確かに、セミは地中でどんな生活をしているかなんて、あまり知られていない。地上こそが素晴らしい場所だというのは、思い込み過ぎかもしれないと、彼女の言葉を何度も思い出す。

おじいさんの手のひらで、地上でのわずかな時間を過ごしたセミは、今どこにいるのだろう。まだ、どこかで鳴いているのか、それとももう、土に帰っていったのかもしれない。地中のどこかにある、セミの大帝国には大きな墓地があるに違いない。

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