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村上春樹とライフジャケット

「また騎士団長殺しを読んでんの?」

夫にそう訊ねられてびっくりした。普段、夫はわたしがどんな本を読んでいるかなんてまったく気にも留めていない。夫は本を読む習慣がないし、本を読む行為自体にあまり関心がない。

そうだけど、わざわざそんなことを聞くなんて珍しいなというと「本のタイトルが怖いから、気になって」と言っていた。

たしかに、以前「騎士団長殺し」を読んでいたときも、うわー、なんか怖い本読んでるね! と言っていたのをちらりと思い出す。

何年かに一度のサイクルで、村上春樹さんの本を片っ端から読み返している。デボン紀とかカンブリア紀になぞらえて「ハルキ紀」が訪れたなあ、という感じ。第何期かは、少し前までは数えていたけれど、今となってはもう分からない。

2020年に村上春樹さんは「猫を棄てる」と「一人称単数」という本を発表された。Tシャツのコレクションをまとめた「村上T」も発表されたけれど、今のところまだ読んでいない。

「猫を棄てる」と「一人称単数」それぞれ3回ほど繰り返して読んだ。そうして、自然な流れで「あ、騎士団長殺しを読まなくちゃ」という気持ちが湧いてきて今に至る。2020年の年末から、眠るまえの少しの時間に読み進めていて、あとちょっとで読み終えてしまうことになる。

騎士団長殺しを読み終えたら、次は海辺のカフカか、ねじまき鳥クロニクルでも読もうかなといったところ。女のいない男たち、もいいかもしれない。

自分の中で「ハルキ紀」がやってくるのはなぜだろうと考えたことがある。単純に物語が面白い、というのもあるけれど、不安定な世界を書いた物語をよんで、安定したいのだろうというのが今のところの見解だ。

夫と結婚して数年の間、何度も「ハルキ紀」が訪れた。ねじまき鳥クロニクルに手を伸ばし、その次に海辺のカフカ、その次に世界の終わりとハードボイルドワンダーランド。1Q84。象の消滅などの短編も間にはさむ。

必ず最初に読むのはねじまき鳥、そう決まっていた。

夫が体調を崩し仕事を休んでいるときや、仕事をやめる決意をし、新しい仕事をさがしているときに「ハルキ紀」はやってきた。夫の転職に合わせて、わたしの仕事も形態も少しずつ変わっていった。

その当時は毎日の変化について行くのがやっとだったし、わたし自身新しい仕事を覚えるのも忙しかった。けれど、思い返すと不安な日々だった。その不安に飲み込まれてしまわないように、先手を打って不安定な世界を読みたくなっていたのだと思う。

不安なら、楽しくって明るい話を読めばいいのだろうけれど、そんな力もない。

わたし自身がうつ病を患っていたときは、ハルキ紀と同時並行で「ばなな紀」もあった。吉本ばななさんの本をむさぼるように読んだ。吉本ばななさんは自選選集をもっているので、それを枕元に置いて目を覚ましたらいつでも読めるようにしていた。

物語に夢中になっている時間だけは、心配事も不安なことも忘れてしまう、とまではいわない。やっぱり心の片隅に不安はある。それでも、目の前でくりひろげられている物語のなかに心を落とすと、大きなうねりをあげてた心に凪のような静けさが訪れた。

いままた「ハルキ紀」がやってきているのは、不安だからに違いない。いまは多かれ少なかれ、不安を抱えていない人の方が稀かもしれない。

そんな時に、小説でなくても、マンガでも、映画でも音楽でも。なんでも良いから少しでも心に凪が訪れるような何かがあればいいなと思う。

自分の機嫌は自分で取れるように、ということでもないけれど、自分を取り巻く不安に溺れてしまわないように、おかしな藁をつかんでしまわないように。それぞれの心がただぷかぷかと浮かび上がるような、ライフジャケットを備えておければいい。




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