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モノマネのおもしろさは、似てるだけじゃダメなのか?

最近、モノマネ番組を見かけることが多く、なんとなく考えていることがある。自分なりの答えも出ていないので、だらだらとした考察ばかりを書くことになるだろう。読んでとはいえない内容になるだろうけれど、メモ代わりとして記しておく。

献血ルームの待合室で、「人生が変わる深イイ話」が流れていた。なんとなく見ていると、今年大流行のりんごちゃんと松嶋尚美さんのモノマネなどで知られるモノマネ芸人、みかんさんの両者のコラボに密着という内容だった。

りんごちゃんのモノマネは、何が面白いのか不思議だった。かわいらしく、やわらかい口調からのギャップだろうか。

というのも、モノマネのクオリティが高いだけでは、モノマネのおもしろさを決めるわけじゃないと思ったからだ。

りんごちゃんのモノマネのレパートリーとしては、武田鉄矢さん、吉幾三さん、ハウンドドッグの大友康平さんなどがある。

わたしは38歳だから、上記にあげた三名をテレビで見たこともあるし、一応知っている。りんごちゃんのモノマネは、とても似ててスゴイ。しかし、深イイ話を見ていると、モノマネライブを開催する場所には小さな子お子さんを連れた家族連れのお客様がたくさん来場していた。ショッピングモールなどでの営業も多いという。

3歳とか4歳くらいに見える子どもが「おもしろかったあ」などと、感想を述べていた。しかし、幼稚園に通っているくらいの年齢の子どもは、おそらく吉幾三さんは知らない。大友康平さんも知らないと思う。知らないと決めつけるのは良くないが、ご両親または祖父母が大ファン、または歌手を目指していて、様々な歌い方を学んでいるなどではない限り、目にする機会は少ないはずだ。武田鉄矢さんはもしかしたらテレビで見たことある可能性は考えられる。しかし、似ているから面白い、と思っているわけではない。

大人たちの感想は「似てる~」とか、「そっくりでスゴイ」とか、分かりやすい。本人と、モノマネの比較ができるから、そういった感想を述べる人が多い。

大人たちが面白がっているから、子どもも面白い、と思うのかと言えば多分そうじゃない。子どもは面白くないものには興味を示さないはずだ。にこにこして面白いとは、言わないことが多いだろう。(気を遣って言うこともないとは言い切れないけれど)

りんごちゃんではなく、チョコレートプラネットの例はどうか。和泉 元彌さんの狂言と、IKKOさんのモノマネ。狂言が何か分からなくても、子どもたちの心は掴んでいた。IKKOさんに関しては、知っている、という可能性もある。

似ているから面白い、という訳ではない。そういう意味では「細かすぎて伝わらないモノマネ」も、そうかもしれない。

わたしはあの企画が割と好きで、先日放送されていたものも見ていた。

このモノマネは似てる、というものから、そういうシチュエーションあるよね、という細かいところをついた視点へのおもしろさがある。

ただ、この番組を4歳くらいの子どもが見て面白いと思うかは疑問だ。いろんなジャンルのモノマネがあるし、本当に似てるよね、というのもある。けれど、このモノマネは見ている人がその情景を描いて「そういう人いるよね」などと想像力を膨らませた先に面白さがある。博多華丸さんの「ゴルフコンペで挨拶する人」なんて、その代表格だろう。

シチュエーションのおもしろさを細かく突いたモノマネ、というジャンルかも知れない。ただ、実際には知らなくても面白いと思える(みょーちゃん劇団とか、アナログ太郎さんとか)のだから、これは芸をする人の力ともいえる。

ただ、子ども受け、シチュエーションのおもしろさではなく、本当に似ているモノマネもある。目を閉じていると、「え? 本人じゃないの? そっくり!」みたいな。このタイプのおもしろさはなんだろう? 似ている=面白い、ではない。コロッケさんなどは誇張したモノマネをしているけれど、誇張が面白いわけでもない場合もある。

学校の先生の口真似をして「似てるー」などと笑うこともある。この場合は単純に似ているだけで面白い。

似てるだけで笑いを取れる場合が多いだろう。けれど、それをなんども繰り返すだけでは飽きられてしまうこともある。モノマネのおもしろさとは、いったい何だろう? 「似てる」にプラスした、何かが必要な場合もある。その何かの正体は、わたしにはまだ分からない。


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