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体感曜日と、失われた水曜日について。

ようやく金曜日。ネコのカリカリフードを計量しながら、カレンダーを見る。足元には「早く早く! 早くちょうだい!」とネコが絡みついている。今週は、どうも曜日の感覚が狂っていた。水曜日を木曜日だと思い、活動していた。

二、三か月に一度くらいの割合で、「体感曜日」が狂うことがある。
たいてい、水曜日を木曜日だと思いこみ、木曜日を金曜日だと思いこむ。
「今日は金曜日としか思えない。明日間違えて遅刻してしまうかも知れません」と、社長に言うと、ははは、と笑って流されてしまった。どうも冗談を言っている、と思われてしまったようだけれど、いや、私は本気だ。

おやすみが長く続いたりすると「今日は何曜日だっけ?」と分からなくなることもあるかもしれない。曜日の感覚が狂ってしまうのだろう。しかし、私が感じているのは、たぶん身体の疲労感が原因のひとつではないか、と推測している。

今週は月曜日から思いのほか忙しかった。あまりにも疲れ過ぎて、帰宅して無意識的に「月曜日から働き過ぎたわ」と呟いていたらしく、そばにいた夫に笑われたほどだった。夕食を食べることすら面倒で、早々に眠った。火曜日も、朝からぐったりと疲れが取れない。日中も、予想以上に忙しかった。勤め先のカフェにはひっきりなしにお客様がいらして、有難いことだけれど、トイレに行く暇すらなかった。

水曜日になり、私の身体には「木曜日の疲労感」が広がっていた。そして「ああ、今日はもう木曜日だね」と、なぜか脳内でも「今日は木曜日!」と全会一致で可決されていた。
私にとって、紛れもなく水曜日は木曜日だった。そして木曜日は金曜日だった。

曜日ごとにやらなきゃいけない仕事があるのだけれど、体感曜日が狂っているため、本来なら木曜日に行うことを水曜日に行ってしまったり。一日くらい早く準備をしても良いので、大きな問題にはならず、ほっとした。

今日がまだ金曜日である、というのもまだあまり信じられない。仕事が滞っていたので、ラッキーだという気持ちもある。
体感として、水曜日が木曜日に、木曜日が金曜日だったとしても、金曜日は土曜日にはならない。金曜日はあくまでも金曜日だ。

今週、私の水曜日は、いったいどこへ行ってしまったのだろう? 探しに行くこともできないし、ましてや、ひょっこりと顔を出してくれることもないだろう。私の水曜日は、どこかで埋もれてしまって、もう二度と掘り返されることはない。

二、三か月に一度くらい、こうして私の水曜日は消滅する。埋もれ続ける水曜日は、いつか土の中で発酵して、私にとっての肥料になればいいのだけれど。

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