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暴れん坊将軍様、平成夏の大捕物帖

とにかく早く、夏が終わってほしい。八月の中旬から下旬にかけて、とにかくそれだけを考えていた。

夏は、心を凍りつかせる侵入者が、これっぽちも「入っていいよ」なんて言っていないのに、家の中に上がり込んでいる。夜な夜なこそっと表れては、私を恐怖のどん底にたたき落とす。

お招きしていない侵入者は二種類いる。具体目を出すのも憚られるため、ここでは「忍びの者」と呼ぶことにする。

真夜中。眠っている耳元で不快な音をチラつかせ、眠りを妨げようとする忍びの者は、今年はあまり姿を見せなかった。暑すぎると活動が鈍るのではないか? と巷でも囁かれていた。

もう一方の忍びの者に関しては、もうやめてくれー! と泣き出してしまったほどに出現した。私はこの忍びの者がとにかく苦手だ。なぜかと言われても分からないが、幽霊よりも苦手なのだ。断っておくけれど、我が家がめちゃくちゃ汚い、という訳でもない。今の家に住んで七年目だけれど、これまでには一度も姿を見せたことがなかった。

しかし、この夏は違っていた。八月の二周目あたりから、何やら様子がおかしかった。

我が家には暴れん坊将軍様がいらっしゃって、その統治下に夫と私という下々の者が暮らしている。

我が家の暴れん坊将軍様。名はカリン。神々しい金色の毛を纏っておられます。

暴れん坊将軍様は、外界からの侵入者に対して非常に厳しいチェックをおこなっている。小さなクモなどにも容赦ない。網戸にバシッと掴まっているカナブンやらセミなどに対しては網戸を外してしまうんじゃないかと思うほどに過激な攻撃をする。

そんな暴れん坊将軍様が、八月の中頃から、妙に玄関周りをウロウロと警備しだした。普段なら「ごはんをよこせ。水を飲ませろ。我と遊べ」と、私の周りから離れないのに。妙に一点を見つめていたり、普段あまりそんな場所でじっとしてないよね? という場所で何やら耳だけをきょろきょろと動かし注意深い様子だ。

暑いし、どこかから涼しい風が来るのかもねー、などと気楽なことを言っていた矢先、忍びの者が姿をあらわした。

玄関先の靴箱の辺りに、黒い影がサッと姿を現した。目に見えたのは一瞬だったが、まちがなくヤツだ。夫が夜勤で不在中という最悪の事態。かなりパニックになりながらも、なんとか撃退し、ほうきで外に追いやった。戦いの後は汗だくで、目眩がした。暴れん坊将軍様は、「あ、あいつ外に出したの? ふーん」という素振り。しかし「まだ、あっちも気になるから」と

ただ、この一件のあと、忍びの者の姿を頻繁に室内で見かけることになった。おそらく一週間に一度程度の割合だ。今年に限って言えば台風と同じ頻度。夫曰く「今年は気候がおかしいからか、以上に増えているのか、それとも家の中で忍びの隠れ家があるのか……」そんなことを言われると、もう恐怖でしかない。視界に入る影が忍びの者か! とビクッとしたり、暴れん坊将軍様がある一点を見つめていると「もしやそこにいるのか……」と思わざるを得ない。

暴れん坊将軍様は、「この辺があやしい。なにか潜んでいる気配がする」というのは察知しておられるが、がしっと大捕り物をする訳ではない。忍びの者はその名の通り、さっと姿を隠してしまう。将軍様は「あれー、この辺にいるはずなのにー」と尻尾をビリビリと小刻みに震わせ、興味がある素振りを続けるものの、やつの姿は見失ってしまうのだ。

万が一、暴れん坊将軍様がヤツを引っ捕らえ、執拗な拷問の後、咥えてしまうようなことがあったら……とおもうと、それも怖い。

「どこか、侵入経路があるから、そこを塞がなくちゃだめだね。でも奴らは割りばし一本程度、3~5ミリのすき間があればすり抜けてくるから、どこからでも侵入できるよ」

夫は全然協力してくれない。なぜなら「どれだけ工夫しても、忍びの者の侵入を拒むことはできないよ」というのだ。しかし、夫曰く「たぶん玄関があやしいのでは? ちょっと隙間が空いている」とのこと。「何かいるかもしれない(実際に姿を見た訳じゃない)」と私がギャーギャー騒いで電話するため、落ち着いて夜釣りに出かけられないと、うんざりしていた。

忍びの者達は玄関から侵入している可能性が高い。しかし、それを決定づける場面がいくつかあった。夫が庭に出ている時、隣家の壁づたいに歩いてくる忍びの姿を目撃したこと。夜、仕事から帰って玄関までにある数段の階段を上っていた時、玄関の扉付近に黒い影がさっとうごめいていた。一瞬のことだったし、茂みに逃げていったので、自宅には侵入していないが、やつに間違いない。また、歩いて一分程度の場所にある和食チェーン店が大がかりな店内改装を行っているらしく、そこに潜んでいた奴らが居辛くなって町に出てきたんじゃないかという夫の説も頷けた。

我が家の玄関扉は押し開けるタイプのもの。地面に触れる部分はゴムが使用されている。一見すると隙間なんてまったく見当たらない。けれど、暗くしたときに、光が差し込んでくるわずかな隙間があることに気がついた。五ミリもあいているか、どうかというくらいの隙間。けれど、これだけ隙間があれば、忍びの者達にしてみれば、十分なのだ。

わたしは忍びの者が苦手でかなり避けてきているけれど、「奴らはなにが好きで、どんな場所が好みで、なにを苦手としているか」ということは把握している。忍びの者を撃退するには、奴らの趣向を知っておかねばならないと思い、過去に半狂乱になりながらも調べたことがある。

やつらはこの隙間から侵入しているに違いない。けれど、暴れん坊将軍様が奴らの存在に気付くため、静かに身を潜めておられず危険を冒して姿を見せている。その姿をみて、下々の人間(おもに私)が翻弄され、穏やかな暮らしが脅かされていたのだ。

とにかく、玄関の隙間を塞ごう。それでもダメなら、次の手を打つしかあるまい。

玄関のパーツであるゴムのヘタリそのものを取り替える、というのは、どうやら大がかりになるし、お金もかかるため難しそうだ。であれば、すきまが起きている部分を塞ぎ、侵入できないような壁を作るしかない。「隙間テープ」というものが効果的かと思いネットで購入してみたが、思っていたのと違う。うーん……。あ、暴れん坊将軍様にために購入したスポンジ素材の板があるので、それを切って貼付けよう。ちなみに、割り箸や、ダンボールで塞ぐのは絶対にダメ。忍びの者はダンボールが大好きだ……。

何度か試行錯誤の末、隙間から入る光を遮ることに成功した。一旦は、これで様子をみるより仕方ない。

暴れん坊将軍様は、室内での監視を怠らない。けれど、一点を凝視したり、突然何かを追いかけて走り出すようなこともなくなったし、クローゼットの中を執拗に嗅ぎ回るようなこともなくなった。

9月に入ると、暴れん坊将軍様は、見回りへの警戒を解かれ、のんびりと過ごしておられることが増えた。

とりあえずは我が家に平穏が再び戻ってきたのだと、強く願うばかりだ。


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