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子どものころの、断片的な記憶。

母や姉と話していたとき、わたしが生まれるときの話になった。

母は、妊娠中毒症を発症していて、12月のはじめに出産予定だったけれど、11月から入院することになっていた。

その時、姉は母の姉であるおばさんの家に11月から預けられることになっていた。わたしはまだその時母のお腹の中にいたので、何一つ記憶はない。

姉は、おばさんの家にいた記憶はほとんどないという。ただ、「ボーンボーン」と音がひびく時計がすごく怖くて、音が鳴るたびに耳をふさいでいたという。それがずっと記憶に残っているという。

母は12月中に出産予定だったけれど、予定日を過ぎてもまったくわたしは出てくる気配がなかった。居心地が良かったのか、この世に出てきたくなかったのか。胎児だったわたしは、何か考えていたのだろうか?

そうして、母は病院でお正月をすごした。おそらく姉は、おばさんの家でお正月を過ごしたのだろう。父は郵便局に勤めていたし、配達の係ではなかったけれど、おそらくお正月は仕事だったに違いない。

一月の中旬をすぎて、わたしはどうにか出てきたらしい。けれども出産と同時に、母はもともと持っていた胆石が動いてしまい、退院どころか絶対安静になってしまった。

生まれたばかりのわたしは、健康だったそうだけれど、とりあえず一か月検診までは入院していた。一か月検診のあと、3月から6月のおわりまで母方の祖母に育てられたという。

一方姉は、4月からは父の実家に預けられることになった。3月まではいとこが大学受験と高校受験があったので、小さな子供を預かることはできないと断られたという。

姉は、父の実家で過ごした記憶も断片的に残っているといっていた。

おばあちゃんが入れ歯をこぽんと口から取り出したところとか、古い家だったから一度外に出ないとトイレに行けなくて夜は怖くて毎回泣いたとか。楽しかったことというより、やはり怖い思い出ばかりが頭のなかに残されていた。

幼いころの記憶は、わたしも断片的にしか残っていない。けれど、やっぱり嫌だったこととか、怖かったこととか、不思議に思ったことばかり。いまになってみれば、アヒルにつつかれて怖かった話なんかは笑い話でしかない。けれど、当時のわたしにとっては恐怖そのものでしかなかったのだろう。

もっとも、この「嫌な記憶」ばかり覚えているのは、理由があるという。嫌なことを回避するために、脳のすぐに引っ張り出せる場所にしまわれているらしい。

とはいえ、姉妹ともども、幼い記憶を手繰ってみても怖かったとか、嫌だったとか、そうした思い出ばかりを話しているので、母は少し寂しそうだった。

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