見出し画像

7枚切りの食パンを探している

「自分に合うかどうか」を基準に考えることがある。けれどそもそも「自分」が変わることのほうが多い。それに、自分にぴったりだ、とってもしっくりくると感じているのはほんの一瞬しかない。

一番わかりやすい例としては洋服があるだろうか。子どものころ、すごきお気に入りの洋服があったけれど、自分の成長に伴って「なんだか子どもっぽくて嫌やなあ」と感じるようになってくる。そのうち、体のサイズそのものが合わなくなって、その洋服は着なくなる。

大人になっても、洋服のたとえは分かりやすい。たとえばちょっと頑張って、オーダーメイドのスーツをつくったとする。女性ならばワンピースとかでもいいだろう。なんなら、オーダーメイドじゃなくってもお気に入りのデニムでもいい。

作ったばかりのころはすごく気に入ってて、大事に着ている。しかし、少しずつ年月を重ねていくと自分の腹回りやら腰回りやら、あるいは生活習慣が変わってしまう。そうしてお気に入りだったし、なんなら洋服自体はお気に入りのままでも、自分にとっては「着ない服」として変わっていってしまう。洋服が古びたわけではなく、自分自身が変わってしまったからだ。

食べ物の好みについても、同じようなことが言える。

わたしはほとんど毎日、同じ食事を摂っている。ホットミルクココア、キウイ、ヨーグルトにきな粉をかけたもの、6枚切りの食パン。おそらく5年くらいは365日中350日くらいはこの食事を変えていない。残りの15日は実家に帰ったときにちょっとメニューが違ったり、早起きして食べている時間がないときなど。365日中365日同じメニューでも構わないと思っている。

ただ、ここ最近6枚切りの食パンに対して、ちょっと量が多いと感じるようになってきた。食後に胃がもたれる、というほどではなく、お腹いっぱいだな、という程度。

ただ、食パンは市販されているものを見る限り、5枚切り、6枚切り、8枚切りサンドイッチ用の12枚切りと存在するのに7枚切りはない。おそらく、8枚切りではお腹は満たされないのだけれど、6枚切りを少し食べ残す、というのもなんとなく気持ちが悪い。

町のパン屋さんに行って「7枚に切ってください」といえば切ってもらうか、切られていない食パンを購入して食べる分だけ自分でカットすればいい。それは分かっているけれど、自分のライフスタイルの中でパン屋さんに行ける時間がない。自分で調整するしかないのだけれど、会社帰りに空いているパン屋さんが自宅の付近にはない。休日ごとにパン屋さんに伺う、というのは構わないけれど、イレギュラーなお出かけがあった場合パン屋さんに行けなくなるのが一抹の不安として残されている。

講師てあれこれ考えながら、6枚切りの食パンを相変わらず毎朝食べている。一気に8枚切りにすると、多分物足りない。わたしの胃袋の加減なんて、知ったことではないだろうけれど。

ただ、いままでカツカレー(大盛)を食べていたのに、どうも大盛は食べられないとか、カレーは大盛でもいいけどカツは二切れでいいな、とか体調が変わってくることもあるだろうし、日によって胃の調子と相談することも必要になってくるだろう。

自分にはこれしかない、というものはほとんどない。体調だって体型だって変わってくる。好きか嫌いかの好みだって年を重ねると変わることもあるだろう。物だけに限った話じゃない。考え方だって違ってくるのだから、「この人とは合わないな」という感情が出てくることだってあるだろう。たとえ、それが親友と言えるほどの友人だったり、大好きだった彼氏だとしてもだ。

自分にぴったり、と思えるものは瞬間ごとに変わっていく。それを自分自身が認められるかどうかが、意外と難しいのだろう。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。