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夏にさわがしい彼らの音

フライングしてやってきた、関東地方の今年の夏。もう、うんざりするほど暑い毎日だ。

いつもなら、七月中旬ごろの梅雨明けと同じタイミングで、セミの大合唱も始まるのだけれど、今年はセミが遅れてやってきたように感じる。とはいえ、この一、二週間ほど、夏の遅れを取り戻さんばかりの勢いで鳴き続けている。

先週の金曜日、通勤の電車に乗っていたときのこと。私の座った席のすごく近くで

ミィーンミンミンミンミンミィーン

と大きな音が響きだした。始めは、わたしだけが聞こえている、耳鳴りなのかと思った。周囲の人たちは私と違って誰もきょろきょろしていない。みんな静かに座っているし、手にしたスマホや文庫本に夢中になっている。

私はあまり体調がすぐれないとき、ときどき耳鳴りがするので「ああ、今日は疲れてるんだな。気をつけよう」と思っていた。しかし、その音はどんどん大きくなっていく。そして私の右隣に座っていた年配の女性が「ねえ、これセミの声よね?」と、わたしに訊ねてきた。

「たぶん、セミ……ですよね。耳鳴りかなって思ってたんですけど」私がそう答えると「セミでしょ! だって、私にもミンミンってうるさく聞こえてるし!」と返された。

私とその女性は「セミは電車の中に入っているに違いない」と結論付けたが、セミの姿はどこにも見当たらない。

セミの声はますます大きくなる。その頃になって、ようやく周りの人達も「どこかにセミがいるのだろうか?」とざわめきだしていた。

耳のすぐ近くで大きな鳴き声が響いているのに、どこにいるかも全然見つけられなかった。私の左側に座っている男性も一緒になって探してくれたが、どこにも姿はない。「電車の中で鳴いてても、何にもならないから、見つけたら外に出してあげられるのにね」と、年配の女性と話しながら、結局見つけることができないまま、私は電車を降りた。

大きなセミの鳴き声をずっと聞いていたせいか、私の左耳はごわごわとした違和感と、小さなジーッという耳鳴りを携え、一日を過ごした。


その日の夜。

翌日は出かけるし、日付が変わる前に寝ようと枕元に読みかけの文庫本を置いた。すると、家の外から鼓膜をひどく震わせる音が響いてきた

バラバラブブブンッブブブゥン、ブブンッブ、パラルラブブンッブブブブ

あー……。毎年、夏になると現れる暴走族だ。旧車會と呼ばれているグループかも知れない。

夏の気候が安定した時期になると、決まって騒音をたてながら走る一群が家の近くを走り抜ける。

それがまあ、とにかくうるさい。バイクに乗っている人達にとってみれば、日頃のストレスの解消になっているのかもしれないけれど、控えめに言っても「騒音」レベルだ。そばで寝ていたネコもとび起きて、挙動不審な動きを見せていた。

ただ、この団体はだいたい、夏の週末にのみ現れる。冬にはやってこない。おそらく、寒いからだろう。寒い時期にわざわざバイクに乗って、寒い海辺に行こうぜ! なんて計画を立てないのだろう。現れるのは、決まって夏の週末だ。

彼ら、一個団体が通り過ぎ、音が聞こえなくなるまで五分くらいはあっただろうか。ずいぶん大勢でやってきたな……と半ばあきれるくらいだった。

通り過ぎた後、あたりの空気はざわめきを残していた。騒音レベルの音に襲われ、身体のあちこちが不快感を示していた。お腹の中にのこるバイクのエンジン音と鼓膜に張り付いてとれない振動。

通り過ぎたはずなのに、まだすぐそこにいるような、ざらざらとした空気が周りに残っていた。

夏のひととき、夜中に騒ぎ出す彼らはセミみたいなものなのだろうか? セミは命をつなぐために必死に鳴いているのだけれど、彼らはなぜ、あんなにも騒がしく走り回るのだろう?

自分が今ここにいる、存在していることを確かめたいがために騒がしく、走り回るのだろうか? 夏の、バイクに乗る一瞬のためにあれこれ準備をしているところを思うと、やはりセミみたいなものだと思わずにはいられない。

ただ夏の夜のゆめのごとし、などと思いながらゴワゴワする耳を枕に押し付け、一日を終えた。


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