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日常の中にある強さ

どんな顔をして会えばいいのかな……。
金曜の夕方、仕事を早めに上がらせてもらって私は実家へ向かった。
新幹線で約2時間。乗ってしまえば本当にあっという間に着いてしまう。帰宅ラッシュと呼ぶほどには混雑していない在来線に乗り換える。早く帰って話を聞きたい気持ちはもちろんあった。けれども、父親の病気についてうまく感情が処理しきれてもいなかった。

金曜の夕方に母と姉は病院に呼び出されていて、今後の治療についての方針を聞きに行っていた。

父親の病気をLINEの通知で知らされからまだ二日しか経っていなかった。けれど、実際には父親は三月の初めごろから検査をいろいろと受けていた。一緒に暮らしている母と姉はひとつの検査結果を知らされていくたびに粛々と受け止めているのだろう。実際には入院や検査のために着替えを持って行ったりと、慌ただしい日々だとも言っていた。

ただ、私は父親が病院にいて、ベッドに横たわっているときに、どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。泣いてしまうかも知れない。けれど、その場で泣くのは我慢しないと、父は闘病を決めたのだから、悲しむのは違うはずだと思いながら自宅の最寄りまでのバスの中でぼんやりと考えていた。

しかし、どうやら父は土曜日に退院することが決まったという。今入院している病院では、治療に向けた検査も、その対応もできないらしい。大きな病院へ転院して、またあらゆる検査を受けなければ、手術も何もできないのだと。

「また水曜日から新しい病院やけど、それまでは普通に生活するだけやわ」母も姉も、少し拍子抜けしていた。これから闘病が始まる、いつ退院するだろうかと話していたのに。一時的にとはいえまた家に帰ってくるし、一緒にご飯も食べるのだ。

そうして、土曜日の昼に父を迎えに行った。病院で見る父は少し小さくなったように見えたけれど、それは気のせいだろう。
父は思っていた以上に気丈で、病気にたいして投げやりにもなっていなかった。ただ「検査ばっかりで疲れるわ」と言い、病院食なのにポテトサラダが美味しかったなあ、とかパンも柔らかくて美味しかった、ビニール袋に入ってて、作っているパン工場の名前と住所をメモしていた。

病気のことを話すと暗い雰囲気になるだろうか? とか、もっと父はイライラしているかも知れないと心配だった。けれども、まったくそんなそぶりは見せず、むしろ「胃カメラとバリウムではどちらがつらいか」と、胃カメラもバリウムも経験したことのある私にきいたりしていた。(バリウム検査の方が苦手だ) 検査の後に絶対安静でオシッコすらいけない。ちんちんの穴に管を入れられてオシッコするけど、その管を無理矢理通されたから、ヒリヒリしてしゃーないという話をめちゃくちゃ熱く語っていた。母、姉、私は申し訳ないがその痛みは一生経験できひんなぁと笑いながら聞いたりした。

山のように渡された薬をひとつひとつ見ながら、お薬手帳にメモをしたり、細かな字で書いて「結局なんて書いたか読まれへんなぁ」などと言っている姿は、これまでと何も変わらなかった。

積み重ねてきた日常に、勝るものは何もないのかも知れない。もちろん日常の中には、いろいろと不都合なことだって起きるのだ。

そんなことを帰りの新幹線の中で考えていたら、ほぼ日の「今日のダーリン」で糸井重里さんがこう書いていらっしゃった。

日常というセーターを、地道に編んでるように見えました。(2018年4月16日 ほぼ日刊イトイ新聞 より)

ひとめひとめ、丁寧に編まれる日常こそ、どっしりと強く揺るぎない。
もしかしたら、この先、長くて暗いトンネルをさまようことになるかも知れない。不安は消してしまいたいけれど、かき消すこともできない。けれど、そのセーターを身につけていれば、暖かさだけは、感じられる。

私は離れて暮らしているため、病院に着替えを届けに行ったりだとか、細かな医師との話し合いに毎回同席できる訳じゃない。けれども、私は私にできるサポートがあることも事実だ。

毎日、共に過ごしていたからこそ、紡ぎ出せる信頼関係もある。

病気だからといって暗く沈み込むばかりではなくて、いつも通りクロスワードパズルに夢中になったり、阪神の試合結果に舌打ちしたりすれば良いのだ。

入院が日常に組み込まれていく生活に慣れるには、まだ私自身気持ちの整理がつかず、発熱してしまっているのだけれど。取り止めのない話になってしまったが、ゴールを目指していくために、まずは一歩ずつ踏み出して行くしかないのだ。

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