知っている道だとしても、迷うことはあるのだろう。

自分がよく知っている場所だと思っていても、じつは全然知らなくて、迷ってしまうことがある。

一月の終わりに、町内会で頼まれていた公園の掃除があった。わたしの住んでいる町内にはいくつかの小さい公園がある。そうして、それらの公園には愛称がつけられている。その公園にある遊具になぞらえて、パンダ公園だとか、ゴリラ公園だとか。

ただ、それらの愛称は、当然地図上には載っていない。正式名称は「二丁目第一公園」「二丁目第二公園」と表示されている。

掃除を頼まれた公園は「パンダ公園」と呼ばれていて、町内会の集まりでも「次回のパンダ公園の清掃は28日の9時から開始しますので、よろしくお願いします」といった感じで案内されていた。

ふーん、パンダ公園ねと、案内を聞いたときは地図が貼ってあったし、だいたいの場所はわかっているつもりだった。以前、夫が掃除に行ってくれたこともあったし、夫に聞けば場所はわかるだろうと思い込んでしまった。

しかし、掃除の当日。前に一度掃除当番のときに行ってくれた夫が「パンダ公園って、どこだったっけ?」と分からなくなっていた。夫の弁明としては前回の掃除の際には、同じくパンダ公園の掃除当番の人と自宅からすぐそばで待ち合わせをして、話しながら歩いて行ったため、いまいち道を把握していなかったのだという。

グーグルマップで町内の公園の箇所を調べながら「たぶん、こっちだと思う」と言いながら、夫の後ろをついていく。「パンダ公園かもしれない公園」は、三か所くらいあって、地図を見ただけでは、どこだかわからない。

わたし自身、歩いて五分ほどの公園だけれど、一度も行ったことがない。子どもがいるお家ならば「じゃあ、今日はパンダ公園まで歩いて行ってみよう!」とか「今日はペリカン公園まで行ってみよう」などと公園に行く機会も多いだろう。しかし、ふらふらと公園に散歩に行く用事もなく、毎日ほぼ決まったルートしか歩いていない私にとって、パンダ公園はどこにあるのかもわからなかった。

夫が「ここだと思う」といって連れて行ってくれた公園にはパンダの遊具ではなく、コアラの遊具があった。ただ、その公園は朝9時前だというのに、かなり日陰っていてコアラはどんよりと暗い表情をしていた。

「やばい、呪われたコアラ公園に迷い込んだんじゃない?」わたしはとっさいにそう言ってしまったが、夫は少し混乱していた。

「この公園だと思ったのに。この道を通ってきたと思ったけどなあ」そういって、何度もスマホを確認している。住宅街の中にある公園だから、似たような道ばかりだし、歩いたことの無いルートだったため間違って記憶していたのだろう。

「パンダ公園」としては登録されていないので、地図を見ても探し出せない。また少し離れた公園に急ぎ足で行くと、ようやく本物の「パンダ公園」にたどり着くことができた。時間は集合時刻の九時ぎりぎりだったけれど、すでに、一緒に掃除をする係のかたが、用具を出すなど準備を進めてくださっていた。

何事もなかったように、わたしと夫は掃除を始めたけれど、パンダ公園にたどり着けたことで、かなりホッとしていた。まさか、家の近くの近所の公園に行くために迷子になるなんて思ってもみなかった。夫に至っては、一度行ったことがある公園だ。

ただ、近所で迷子になった、というだけなのだけれど、これは実際の道ではなく、いろんなことで言いかえることができるだろう。

できると思っていた仕事も、思い違いをしていて、できなかったり。かんたんな操作だと思っていて、マニュアルがあるからと話をきちんと聞いていなかったけれど、じつはマニュアル通りにやると、初心者はうまくできないことがあったり。

簡単だとか、知っていると思い込んでしまうと、実際に対応したときに思っていたことと違っていて、できない、失敗するということもあるはずだ。

呪われたコアラ公園にたどり着く前に、確認したり、事前の準備をすればこんなことはならなかったと思う。もう8年も住んでいるのに、全然知らない場所があるというのも、我ながら関心がなさすぎるのかもしれない。わたしはもう少し、近所を散策する必要があるのだろう。


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