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こどもたちの笑顔に、わたしは救われた

おおきな悲しみを胸に抱えていたときに、子どもの笑顔に触れてとてもほっとした。ただ、むじゃきに笑う。その笑顔に、わたしはとても救われた。


父の葬儀が終わり、すぐに済ませなくてはいけない手続き(父の年金受給資格の停止とか、世帯主の変更とか)をばたばたと済ませた。それらの手続きは、書類さえそろっていれば、取り立てて難しいものではない。

ただ、目が悪く、ちょっとひざに痛みを抱えている母がひとりで役所にいって、ぜんぶの手続きをおこなうことは大変だったかもしれない。

ありがたいことに、わたしは仕事のお休みももらえたし、姉も母に付き添って、分担して手続きができたので、ほとんど一日で終えてしまった。土地の名義変更なんかは、ちょっとまだ時間がかかるけれど、それはまだ、時間的にも余裕がある。

そうして、思いのほか時間に余裕ができたので、二時間程度だったけれど、わたしは実家の近くに住んでいる友人に会いに行った。

彼女の父親もまた、闘病中だ。彼女の相談を受けることもあったし、わたしは父のことでいろいろと相談もしていた。お互いを励ましあってもいた。

二月の三連休で帰省するから、と連絡していたけれど、予定は変わってしまって、少しでも会えるなら会いたいとわたしが無理を言って時間を作ってもらった。

彼女には一歳半の男の子がいる。わたしと彼女は話し合う中で悲しい気持ちを共有しあっていたのだけれど、その男のはわたしの気持ちなんて知ったこっちゃないのだ。

ただ、その子のむじゃきな振る舞いに、とにかくわたしは救われた。彼女は「もう、ゆっくり話もできひんなあ」と、困っていたけれど、ゆっくり話をさせてくれない、彼の要求に応えるべく絵本を読んだり、ソファから転げ落ちる遊びを延々としたり。その子が笑ってくれるように、全力で遊ぶことが、そのときのわたしには救いになった。一瞬でも、悲しみを忘れさせてくれたから。

帰りの新幹線でも、ちょっとした順番をお子さんに譲ってあげた。そうしたら、その子は「ありがとう! ばいばーい!」と笑ってわたしにむかって、思い切り手を振ってくれた。

わたしも「ばいばーい!」と笑って手を振り返して、その場を去った。けれど、その子どもにむけた笑顔は作り笑顔ではなかった。あの一瞬は、ほんとうに笑顔になった。それまでは、わたしの頭の中は、いろいろな悲しみや、これから行わなくっちゃいけない手続きのことを考えていたのに。

子どもたちのむじゃきな笑顔に、わたしは とても救われた。



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