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火星と宇宙に思いを巡らせ。

いつもより帰る時間が遅くなった昨夜、電車の中からきょろきょろと外の様子を伺っていた。座ってからも首を左右にぐるりと曲げて外の様子を見ようとして、となりに座っていた女の人にじろりとにらまれてしまった。怪しい動きだったのだろう……。昨夜は15年ぶりに火星が地球へ大接近する、ということだったので、どうしても見たかった。

月のすぐそばに見えるのかな? と少し勘違いしていたため「え? 火星、どこにいるん?」と電車の外に出てからもきょろきょろしてしまった。肉眼で見たところ、月と火星がぎりぎり同時に見えるくらいの距離感だった。

すこし、赤みを帯びた光を放つ火星を見つめていると、ふと思った。今、私たちは「あれは火星で、15年ぶりに見えるんだ」ということが分かっている。

けれど、たとえば縄文時代とか、平安時代なんかだとあの星が火星だとは分からない。火星、という名前がついていないにしても、周期的に地球に近づいてくる星だ、ということを知りようがない。

火星以外にも、月食や、日食なども恐怖体験としか言いようがないに違いない。普段、普通に目に見えているものが、なぜか突然隠れてしまったり、短い時間とはいえ、昼間なのに太陽の光がさえぎられる瞬間が来るのだ。

あの赤い星が見えている間は不吉だ。昼間なのに夜が訪れるなんて、邪悪なものがいるに違いない。「天のお怒りをお鎮めせねば」なんて、不吉なものだとかこつけて、誰かしらを謀反人だと決めつけて処刑する、ということもあったかもしれない。

「若君の誕生の折に、あの赤い星は瞬いておりました。それが今回の元服においても、姿を現したるとは……」みたいな、こともあっただろう。15〜17年に一度、火星は地球に接近するとニュースで行っていたので、タイミングもばっちりだ。

しかし、そんな風に考えてしまっても、仕方ない気がする。宇宙や星の軌道などの認識がまったくなければ、普段とちがうものが見える、普段と状況が変わってしまうのは怖くて仕方ないだろう。いつもは見えない赤い星が瞬くのは不吉だと、考えるのも無理ないだろう。

火星という星の存在くらいは知っているけれど。宇宙こととなると、いまだによく分からないことばかりだ。ノーベル賞を受賞された小林誠先生も宇宙の謎について「気になるから」研究していると言い切っていらっしゃる。

上記リンク先の対談、もうびっくりするくらい面白いので、私の書いたものを読んでいただくより、クリックして飛んでいただいた方が、断然おもしろいので、本当におススメ。

知らないから知りたい、もっと近づきたいと思うこともできる。また、知らなくて怖いから、無闇に近づかない、と思う気持ちもある。さらには知らないけれど、怖いとも思わず、自分とは全く無関係だと切り捨てることも、できる。

ものごとに対してとる距離感は、いろいろとあるだろう。何が正解かもわからないし、選ぶ環境によっても選択肢は変わってくる。そもそも選択の余地がない、ということも考えられる。知らないことは知らないままにしておいた方が良いと、忠告されることもあるかもしれない。

宇宙の真理なんて、いつまでたっても解明されないかもしれない。宇宙の真理どころか、もっと単純なことですら。けれど、「興味があるから、探究したい。知りたい」という気持ちは、私は無くしたくないと、赤い火星を見ながらボンヤリと思ったのだった。





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