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桃と祖母

この夏になって、先週ようやく桃を食べた。
桃を買うのは、すこしだけ、勇気が必要だ。

スーパーに、キレイに陳列されている桃たちは、何となく「高価な品」に見える。

傷まないようにと着せられている柔らかいネットは、気軽に触れないでくださる? と言いだしそうな気さえする。

幼いころに、母とスーパーに買い物に行ったときに「桃は触ったらあかん。すぐ傷んでくるから!」と、厳しく言われていたことも一因なのだろう。

母の実家は野菜や果物の問屋を営んでいて、結婚するまでは店のお手伝いをしていたそうだ。そのために果物をむやみに触ると商品価値が下がると言っていて、その代表格が桃だった。

「桃を触るときは、買うときだけ。上からみて、決めてから手に取りなさい」と何度も言われたことが刷り込まれているに違いない。
桃の柔らかな産毛を手に入れるには、勇気を出さなくちゃいけないのだ。

桃を食べると、いつも思い出すことがある。それは、父方の祖母のことだ。
あまり詳しくは知らないけれど、祖母は結婚するまで、お嬢様育ちだったという。着物や日用品なんかにも、いろいろとこだわりが、あったそうだ。だけど、戦争で全部丸焼けになってしまって、物にこだわっても仕方ない、と思うようになった。

けれど、食べ物に関してはこだわりを捨てられないでいた。
なかでも、桃に対するこだわりが半端じゃあなかった。
祖母は「岡山産の白桃以外は桃として受け付けない」と頑なに言っていた。
岡山産の白桃は、本当に皮が白かった。うっすらとピンクになっている部分もある。けれどそれは、少女がほんのりと染めた頬の色みたいに、気付かれない程度のものだった。
皮に赤みを帯びている桃を、祖母は絶対に受け付けなかった。
「こんなん、桃ちゃうから」
そう言って、いくら甘くて美味しいよ! と言っても、口に入れることはなかった。
父は持っていったお土産の桃をひとくちも食べない祖母に対していつもイライラしていた。けれど、なぜか毎年桃をお土産に持っていったのだ。
「今年は、食べてくれるかも知れへんやろ?」と言いいながら。

そんな祖母が、老人ホームへ入ることになった。
身体が弱く、家族の介護ではどうにもできないと、何度も話し合った結果だった。

山奥にある老人ホームに祖母に会いに行くためには片道2時間近くかかった。
しょっちゅう会いに行くこともできないし、会いに行っても、「こんなとこに、おばあちゃんひとりぼっちなんや」という、チクリとした罪悪感がハリのように心に刺さった。
祖母はだんだんと記憶も薄れていった。孫の顔はおろか、実の息子のことすらおぼろげになっていった。

ちょうど食事の時間に面会したときのことだ。
もう、自力で身体を起こすこともできなくなっていた祖母は、自動のベッドで上体を起こされていた。虚ろな目は、すぐそばにいる私達じゃなくて、どこか別の世界を見ているようだった。
「お食事ですよー」といって運ばれてきたもの。
それは、チューブに入った流動食だった。
味噌汁のような色をして、なんだかよく分からない。ただ生かされるためだけの栄養物。
以前、固形に食事を摂っていたとき、うまく飲み込むことができず喉を詰まらせてしまったそうだ。それ以来、流動食を食べているのだと説明された。

あの祖母が。
桃がちょっと赤いだけで「それは食べたくない」と頑なだった祖母が。

食事、と呼んでいいのかすら戸惑ってしまうようなものを、訳もわからず食べている。

私はどうしても、その姿を見ていたくなかった。「待合室にいるね」と言って逃げるように部屋から出ていった。その日のから3カ月後の寒い冬の日に、祖母は亡くなった。

祖母が亡くなってから、もう20年近くが経とうとしている。
それでも、あの老人ホームで見た姿が忘れられない。気位ばかり高い祖母。もしも意識がはっきりとしていたら、「これは食べたくない」と言って、流動食は口にしなかっただろうか、と考えてしまう。

食べたくない、と受け付けてくれないかも知れないけど、せめて香りだけでも、と。
私は桃を食べるたびに、祖母を思い出すのだ。

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