プロレス観戦①

おはようございます。本日は曇天模様。パッとしない天気の日には古傷が痛みます。手術の後ですけれど。

プロレスの観戦についてです。

私が本格的にプロレスを見るようになったのはいつごろか。中学生のころかなぁ・・・1989年の最強タッグリーグで馬場-木村組vsハンセン-天龍組の一戦かな。試合開始早々、木村負傷でギャグの対象と化していたジャイアント馬場が、ハンセン・天龍の怒涛の攻撃に耐え続けた一戦。最後は力尽き馬場から初のピンホールを奪った天龍という歴史に残る一戦でしたが、。見てた私は馬場いまだ死なず!と興奮したものです。全日本、新日本でいうと新日本のごちゃごちゃドロドロした感じがあまり合わなかった気がします。U系はなんか何を言いたいのかよくわからずあまり触れず触らずでした。

貧乏な中学生。観戦はおもに本屋の週プロ、ゴングでした。翌日、友達とさも会場にいってきたようなテンションで熱く語り合い、これから伸びそうな選手、タイトル戦の動向、新技の効果について等々、語り始めればあっという間に過ぎてしまう夢のような時間をプロレスは与えてくれました。

高校に上がってもそれは変わらず。当時きつい部活動に入っていたため、バイトなんぞできず、部活の休みもなく、プロレスライフ的には中学生のころとかわらず。ただその紙面には大きな変化が現れます。涙のカリスマ 大仁田厚のブレイクです。壮絶なデスマッチ、流す血と試合後の涙と絶叫。インディーという概念が生まれたのもその頃でした。そして私の初観戦。大仁田厚の引退試合です。社会人になり数年。ついにその時が訪れました。初めて生で見る感動。印象に残ってるのはレジェンド シークの一戦(あっという間に終わって呆然とした記憶)そしてメインイベントの大仁田ーハヤブサの邪道魂継承マッチです。そのころあまりプロレスに熱中していなかったので、ハヤブサのことをあまり知らず、直前でのターザン後藤離脱で、いったいどうなるんだと思ってたところのハヤブサ。格が違いすぎるんじゃないかと思ったのは開始のリングが鳴るまでであまりの素晴らしさに目を奪われました。中でも自爆とはいえ金網からのムーンサルト。派手な見た目とともに、これからのFMWを背負うだけの説得力をもった、まさにヒーロー継承を見た瞬間でした。その頃はみちのくプロレスもあり、多種多様な団体があり、お祭り騒ぎのような業界だった気がします。

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