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実は「失敗」ってそんなに多くはないんじゃないだろうか。

失敗って、どういうことなんだろう?
「あなたが失敗したんだから自分で責任取りなさい」
「明らかに御社の失敗ですから補償してください」
「あの人と結婚したことが最大の失敗よ!」
いくらでもあるように見えて、その大半は「予測違い」のことを指してない?
こういう戦略でいけばうまくいくはずだ。が、外れた。
こういう業務提携をすると儲かるはずだ。が、そうならなかった。
この人と結婚すれば幸せになれるはずだ。が、まぼろし~。
どれもこれも予測したことがそうならなかったというだけ。それをあえて「失敗」と強調するならば、人は予測して行動することを恐れるようになる。現に、そうなってきている。誰かが示した答えどおりに動こうとする様子があちこちに見られる。
「失敗しなきゃいいんだよ!」と言われても困る。未来が見えるわけじゃないんだし。人は皆、見えない明日を「たぶん今日と似ているだろう。だったら安心できる」と予測して生きている。「明日、大災害が発生する」と分かっていたら平気な顔をして今日を過ごすことなどできやしない。予測できない明日を迎える連続が人生なのだから、人生に予測違いは付き物だ。
だとすれば、予測違いを何度か経験して、その理由をなるべく早く改善していくことがうまくいく近道で、その意味で「失敗は成功の母」と言っているのならば理解できる。
世の中、特にビジネスの世界では、神様か!? とツッコミたくなる会話がまことしやかに交わされている。
「売れるものをつくろう!」
売れるかどうかなんて誰にも分からないじゃないか! だから試行錯誤するしかなくて、そのために大勢の知恵を持ち寄るんじゃないか! といつも思う。しかし、誰も神の会話を不思議に感じていない。
百歩譲って、こういう議題ならば分かる。
「失敗の原因を見つけやすい企画をつくろう」
でも、絶対にやらない。失敗に向き合いたくないから。口では「失敗は成功の母」と言いながら、あえて失敗するようなことはしない。なぜ? とても大事な実験なのに。それなのに「成功」を得ようというのだから、自己矛盾に陥って、結局はお茶を濁す会議が延々と繰り返されるのだ。
売れたとしても、それはそういう結果にすぎない。同様に、売れなかったとしても、それもそういう結果でしかない。どちらも成功でも失敗でもない。売れなかった結果から改善策を導き出せばいいだけのことだ。
むしろ、こういうことを考える必要がある。「図らずも売れてしまった」。さあ、どうする? 偶然の成功なのだから改善のしようがない。怖くて変えられない。変えられないから、他社の斬新なアイデアに追い抜かれて負けてしまっていた、ということが起こり得る。
出版界には「ベストセラー倒産」という言葉がある。「あった」というべきか。ベストセラーの出にくい時代になってしまったから。
出版した本が予想以上に売れて、急遽、増刷した。読みが甘かった。売れなくなってしまった。在庫を抱え、会社は倒産した。これがベストセラー倒産。
予測などできないのが世の原理。できることは予測の間違いから何かに気づいていくこと。
予測の間違いしかできない人間は、間違いを大事にするしかない。成功に近寄ろうとしてはいけない。間違いを永久に改善し続けること、それが唯一できる「成功」。
世の中に失敗というものがあるとすれば、「間違いなくこれで成功する」と勘違いすること。それこそ、人間にできることとできないことを見極めていないあなたの失敗です、と言える。
失敗を怒る人までいる。それも人間にできることとできないことを見極められていない。怒ることの正当性は、失敗した本人が自分自身に対してだけだ。他人ができることは、思い通りにならなかったときに何に目を向けるのかを気づかせてあげることだけ。
見極められない上司があなたを怒っている? そういう人だと見抜けないのか、分かっていて雇用し続けているのか、間違いなく会社の失敗。
 

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