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美化

書いては消し、書いては消し、何処にも出せない下書きが多くなっていく。
ここの存在もすっかり忘れていた。
日常、感情を噛み締める間もないまま生きていて、すきなもの・感情・記憶・その他いろいろを忘れてしまった気がして、それがなんだか悲しかったから、ここを作ったんだった。そうだった。

ここ数日、昔の記憶をふと愛しく思う時がある。
遥か昔に毎日聴いていた、わたしを呼ぶ声。
やさしくて、あったかくて、大丈夫だよって言ってくれて、わたしは自分のことしか考えられない本当に最後まで酷い人間だったけど、それでもかけ続けてくれた声。もう二度と聴くことはない。
PEDROの生活革命という曲を聴いて、思い出した人がいた。

指の形を確かめ合ってひっつきあった取れなくなっても平気です

あの人がいてくれたから、死ななかったんだろうし
あの人がいてくれた事実があったから、この先顔向けできる人間にならなきゃ、とも思った。
あのとき最後に、自分から手放せてよかった。
あの人にわたしがしてあげられた、最初で最後の、いちばんよかったこと。

時の流れとは残酷なもので、もう顔も声も朧げにしか思い出せないけど。
とてもとても、感謝している。もう二度と会うこともないけど、ずっとたいせつなひと。

ふと思い出して、いろんなことがあって悲しくてやるせない記憶もあったはずなのにな、やっぱり思い出は美化されるものだなと我に返ってみたけど、わたしはいましあわせだし、思い出した朧げな記憶と感情が、あったかくてやさしいものでよかった。
これからも時々、心の中の宝物箱から取り出して綺麗だったなって眺めて、少しちからを貰って、またしまって、生きていくんだろう。

わたしはあれから、やっぱりなんだかんだ生きています。
愛しくて泣きそうになるくらい大切で、この人が死ぬまでわたしは死ねないと思える人に出逢って、ともに生活をしています。
自分で仕事をして、ごはんも一通り作れるようになりました。

そちらはどうですか。げんきですか。
どうか今日も健やかで、しあわせでいてくれたらいいな、と心の底から思います。

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