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モンテッソーリ教育に基づいて試行錯誤のわたしの子育て

長男の年少時代がまもなく終わる。この1年、初めて家庭から離れて、幼稚園という場に身を置き、先生方やお友達からたくさんのことを学ばせてもらい、ぐーんと成長したように感じる。

長男の乳児期は比較的育てやすかった。家庭での子育ての悩みはあまりなく、わたし自身も自分の時間を持ちやすかったのを覚えている。
それが、ヒーヒー言い出すようになったのは、長男が2歳になり(いわゆるイヤイヤ期)、次男が誕生してからだ。まずは長男の「イヤイヤ」にどう対応したらいいのかわからず、「無理やり」言うことを聞かせることもしていたように思う。

「モンテッソーリ教育」という言葉は聞いたことがあったし、少し先に出産した友人が学んでいると聞いて、興味を持っていた。けれども実態はまったく分からなかった。

そんな時に出会ったのが、モンテッソーリ教師あきえ先生
voicyでの発信を聞いたり、当時、長男が新生児の次男をたたいたりしていたのでその対応法を質問させてもらったり、書籍を読んだり、オンラインコミュニティにも一時期参加したり、あきえ先生からモンテッソーリ教育に基づいた子育て方法を教えていただいた。モンテッソーリ教育―奥が深くてはじめはきちんと理解できなかった。何度も何度もあきえ先生のお話を聴いて、子育てでつまづいたり、反省したりした時には立ち戻って、2年経ち、ようやくわたしの心の柱として根付き始めている。

モンテッソーリ教育では、「自ら育つ力がどの子どもにもあり、適切な環境を用意し、その環境に触れることで子どもは力を発揮し、自ら育つことができる」と考えられています。
子どもは「球根」のような存在。大人は水をあげる人、環境は土や太陽や湿度。水をあげるだけではだめ、日当たりの良さだけでもだめ。まるで球根のように育つ力の根源を持って生まれた子どもたちを導くことが大人の役割です。

『モンテッソーリ流 声かけ変換ワークブック』


子どもが主役、大人はガイド

「しつけ」は必要あるのか、ある事件から考えたことがある。躾をしなければならないとか、躾はどのようにするのかとか、実際子育てが始まっても考えたことはなかった。でも、食事中のマナーや人が嫌がることをやってはいけないと伝えなければとは思っていた。

ある日、実家で遊んでいた時。長男がお絵描きの延長で、カーペットにまでクレヨンで描き始めた。「これはダメでしょ。」わたしは軽い感じで注意した。母に報告すると、母は激怒。わたしに対して。「躾がなってない!」そして息子にも、お尻を叩いて「ごめんねってなんで言えないの!」
すごく驚いたし、ショックだったし、傷ついた。

わたしの子育ての仕方は間違っていたのか?!でも、同時に思い出した。母から怒られていたことを。だから、いい子でいないと、こういうこと言うと母は怒るだろうなとか無意識で思っていたこと。
息子とは2人になって伝えた。クレヨンでカーペットに絵を描いたことは良くないこと。ばぁばの大事なカーペットが汚れて、ばぁばは悲しかったよ。こういう時はごめんね、って言えるかな。
そのあと息子は「ごめんね」と伝えた。
そしてわたしは「躾」ってなんだろうと考え考えて、あきえ先生の言葉にたどり着いた。
「子どもが主役。大人はガイド。しつけは必要ない。子どもは自ら育つ力を持っている」
「子どもも大人も対等の立場。怒る、叱るではなく、伝える。」
あの時、わたしもきちんと伝えず悪かったと反省した。「カーペットには書かないよ。紙に書こうね。カーペットが汚れちゃって、ばぁばが悲しむよ」とゆっくり、真剣に伝えることが大切だったと。

大人は少し長く生きているから、人が嫌がることとかやってはいけないことを知っている。子どもはまだダメなことやなぜダメなのかも知らないし、ダメなことをやめる自己コントロール力も未熟。だから、子どもの自立、自律を助けていく役目、お助けマンが大人の役割なんだ。

子どもの心の中を知る(観察)

長男は幼稚園に行き始めてからすぐに友達もでき、毎日幼稚園に行くのが楽しみになっていた。2学期になると遊びの幅も広がり、たくさんの友達とごっこ遊びなども楽しむようになった。先生からも息子のことを、「クラスの人気者で、遊びを考えたり工夫するのも得意」と言ってくださった。
けれども、3学期になってから。。「今日は幼稚園行かない」というようになった。初めは「支度がめんどくさいのかな。家で1人で遊びたいのかな」と思いながら、「そんなこと言ってないで行くよー!」と声をかけていた。
でも、なんか様子が変。もう一度息子と向き合った。「何があったの?行きたくない本当の理由を教えて。」と尋ねてみた。「・・・・○〇くんに叩かれるのがイヤ」。
息子はわたしも感心するほど、人の言動を見ていて、友達が傷つくような言葉を行ったりしない。どこで学んだのか、人の気持ちを察する力があるなあと感じていた。そんな息子だからの葛藤。

子どもの言動だって、いつもちゃんと理由がある。大人にとってしてほしくないことをいつもいつもする。でもそれにも理由がある。(たいていは面白そうだから・・・これをこうするとどうなるだろう。などの好奇心である!)泣くときにも理由があるし、何も言わないのにも理由がある。その理由に気付くためには、日々の観察がとっても大切なのだと、最近つくづく感じている。

家では、2歳の弟を突き飛ばして泣かせることも多い、長男。自分の遊びの邪魔をされるから。でも、先日初めて次男の方がものすごい力で対抗して、長男の髪の毛を引っ張り、長男が泣かされた。長男には「遊びの邪魔をされてイヤだったんだね」次男にも「ここでこうやって遊びたかったのよね」と寄り添いながら、「でも押したり、髪の毛引っ張ったりしたら痛いよね、嫌だよね」と伝えた。長男は、「ごめんね」と伝えることができた。

また別のとき。わが家ではお風呂に何の入浴剤を入れるか、子どもたちが選びたがるのだが、長男が自分で選んだものを入れると言い張り、自分で選んだものを入れたかった次男が泣き出した。わたしは長男に「○〇(次男)は自分で選んだものを入れたかったから悲しんでるね、○〇はどうやったら楽しい気持ちになって笑ってくれるかなあ。楽しい気持ちにさせてあげて!」と言った。すると長男は次男に「お風呂一緒に入ろう!冒険ごっこしよう!」とかいろいろ話しかけていた。入浴剤を破って袋から自分で入れたがった次男。それは「いいよ」と長男が言ってくれたので、入浴剤をお風呂に入れることができた次男は泣き止んだ。自分がやりたいことは譲らなかったけど、その代わり傷ついた人には優しくしたり、楽しい雰囲気にしようと励む長男を見て、感情と複雑な人間関係をコントロールするやり方を学んでいるなあとほっこりしたエピソードだった。

自分の感情と他者の感情を知ることができるようになった4歳。こんなことを言ったら怒られるとか、相手が悲しむとかわかるようになってきた4歳。じっと長男を観察している中で、感情の機微が見えるようになってきた。

「知ろう」とする大人のまなざしがまなざしが子どもを理解し、尊重することにつながっていきます。そして、その関係性が子どもとの信頼関係をつくり、さらには子どもの自尊感情を育むことを助けていきます。

『モンテッソーリ流 声かけ変換ワークブック』

大人と子どもは対等

それでも、わたしは子どもに対して、頭ごなしに「ダメ!」と言ってしまう事柄がある。特にメディア視聴と甘いもの問題である。小さい子どもが取りすぎると健康を害してしまう。そして、なんとなくこの2つを過剰に与えることは子育てを放棄しているように感じるので、自分への戒めも多少あるのかもしれない。メディアを視聴しているとき子どもはおとなしくしているし、お菓子を与えると泣き止んで笑顔になる。大人が楽をできるから。
だからわたしが勝手にルールを作って、TV(DVD)は何分間、お菓子・ジュースは1日これだけ、と決めてしまっている。
でも、大人には命令はしないよね、とふと気づいた。例えば夫に対してなら(夫は両方とも大好きなのだ!)、注意はしても命令はできない。やめてほしいなら、やめてほしい理由を説明するよねと思う。だから、子どもにも「発達段階の身体や脳に悪いこと」をお話しするようにした。2歳の次男も、なかなか自己コントロールは難しいけれど分かってくれた。メディアを視聴する前、お菓子・ジュースを取る前に、時間や量を一緒に決める。まずはそんな風に向き合いながら、大人でも難しい自己コントロール力を養っていってほしいと願っている。

まずは大人の心身を整える一人時間は必要

子育ては、当然ながら子どもが成長していく姿を見る喜びを日々感じるが、忍耐もとっても必要だと感じている。子どもができるまで、こんなにイライラが募り、大きな声を出すことなんてなかったと思う。特に次男が1歳になってからは特に大変で心の余裕がなくなり、夫が特に仕事で忙しいときはイライラしない日はないくらいだった。家事を中断されてイライラ、息子の朝の支度開始が遅いのにイライラ、片づけをしないことにイライラ・・・。

親の心がみたされていることが子どもの「生きる力」につながります

『モンテッソーリ流 声かけ変換ワークブック』

わたしは子どもたちと一緒に毎晩9時に寝る。そして朝4時半に起きて自分時間を持つ。「学習欲」が強い(ストレングスファインダーより)わたしが昨年取り組んでいたのは、英語・翻訳の勉強。そしてわたしの元気の源は身体を動かすこと。朝のジョギングまたはピラティスは日課にしている。これでも心が満たされていたが、今年から始めたのがマイノート(手書き)とこのnote。(ストレングスファインダーで)「内省」も上位にあるわたしは、思考もとっちらかち。あらゆる考えが湧き出てきて、頭が混乱するのだ。それをマイノートにとりとめもなく書き、noteには思考をまとめたものを出す。こうすることで思考に余白ができ、心にも余裕ができてきた。

けれども、一番難しいのは夫婦間のパートナーシップ。夫は忙しく、仕事に余裕のある時は夕飯の時間を一緒に過ごせるが、多忙期はほぼ自室にこもりっきり、週末は睡眠に明け暮れる。こうなるとわたしのワンオペ育児。夫に対してのイライラはより募る。週末も子どもがいると、夫婦二人で話す時間も全然持てず、気持ちを吐き出せないわたしの心には石がどんどん積み上がり、心のすき間をなくしていく。わたしには夫との対話もなくてはならない。
実家の両親にお願いして、月に一度夫とデートをするようにした。夫も平日は、子ども相手にイライラしていることも多い。二人でいるときは、本当は聞き上手な夫は、話下手なわたしの気持ちを聞いてくれる。2人で今後の方針も話し合える。将来の道筋への霧が晴れてくると、わたしの心は満たされる。

育児は育自

子育てにおいて大事なことは、大人の人間関係においてもまったく同じだとモンテッソーリ教育を学ぶと実感する。根底には「常に相手は自分と対等で相手を尊重して、相手にどうすれば役に立てるかの視点で動く」という軸がある。子どもはまだ自己コントロール力が未熟なので(成熟するのは24歳だそう!)、側にいる大人が自律を助ける。そして、それには大人自身が自己コントロールできていないと難しい。
大人が自分をコントロールすること。それは広い意味で「幸福や成功、生きる喜び」を自分で見出していくこと。大人になるとこんなに楽しいんだ!と子どもに見せていくことが、ひいては子どもにも未来への希望をもたらし、自分の意志で生きていこうという自立・自律心につながるのだと思う。

子どもは未来の担い手。側にいる大人の接し方で未来が変わるとなると恐ろしくもなる。でも、大人が変わることで子どもも変わっていくなら、「子育て」こんな楽しいことはない。


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