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イヤという感情

幼稚園年少の息子。友達から人気者だと聞く。
昨年までは、幼稚園に行きたくて仕方がなかった息子が、先週から「今日は幼稚園に行かない」と言うようになった。
「どうして?」と聞いても、家で遊びたいだとか眠いだとか言っていたが、よくよく聞いてみると「T君からたたかれるのがイヤ」だということ。
嫌なことは「イヤ、やめて」と言って無理にその子と遊ばなくていいこと、そして嫌な気持ちが続くなら担任の先生にお手紙書くね、と言ってその日は送り出した。次の日、首に傷あとができていた。T君からされたということ。どうやらT君には悪気はなく、息子と一緒に遊びたくて手が出てしまったそうだ。ふざけてじゃれあうことはよくあるそうだが、それが行き過ぎて嫌になることが、息子にはあるんだということに気が付いた。

家では、できないことがあったら泣きわめくし、弟を押し倒したりもしょっちゅう。でも、確かに外で友達といるときは控えめで優しく、誰とでも仲良く遊ぶ姿がある。友達といるときは泣かないし、楽しそうに笑っている。でも、心の裏側に嫌な気持ちが芽生え、はびこり始めていたんだ、とハッとさせられたできごとだった。

嫌な気持ち、不快に思うことはともすれば蓋をしてしまいがち。わたしも基本的にはそうやって生きてきた。特に言葉にすることはせず、蓋をして見ないようにして生きてきた。そうして距離を置くことで、いつしか消えるものもある。社会の中のチリやごみはそうやって散っていく。けれども大切な人や場所の中では、「イヤ」な感情とも向き合い、伝え合うことが大切だということを、わたしも気づき始めたところだったから、この息子のエピソードから考えさせられた。

不快な気持ちを認識するって実はとても難しいことなのかもしれない。大人になると「モヤモヤする」「違和感がある」とか表現して、あやふやなまま置いてしまいがち。心にしまっておいたものが積み重なりあふれると、感情になって爆発!ときには人との関係がこじれたり、切れたりすることだってある。自分を追い込みすぎて病気になってしまうこともあるだろう。
「モヤモヤ」や「違和感」を言葉にして、話したり、書いてみることは、健やかに生きていく上で大事なことだし、同時に自分自身の価値観も浮き彫りになる。

日々成長を続ける子どもと暮らすことは、学びの連続だ。子どもは、まず自分の感情を認識するところから獲得し、それを泣いたり怒ったりして表現する。そして言葉で言うスキルを身につけるという成長を歩むそうだ。だから、側にいる大人は成長を助けるためにも、言葉を補って感情を受け入れることが大切だ。「~がイヤだったんだよね。~されて痛かったから嫌な気持ちになったんだね。」と。
ある日、息子は「一緒に遊んでいたのに、〇〇君が先に帰っちゃってイヤだった」と言った。この場合の嫌な気持ちはきっと「寂しい」や「つまらない」ということかな、と語彙を補ってあげると子どもも多様な感情を伝えやすくなる。不快な感情を上手に伝えることは、人間関係を構築する上でも、また犯罪などから身を守るようなことにも大事なことだ。

年齢が低ければ低いほど、「ありのまま」の感情を出す子ども。時に大人は「我慢しなさい。わがままだ」と言って抑圧したくなる。いつもいつも抑圧していると、徐々に自分の意見を言えないようになる。いつも「はい」とだけ言っていれば、問題意識を持てない大人に育ってしまう。
「我慢は美徳である」という精神も日本社会には根付いてる。「お父さんも我慢して仕事しているんだから」とか・・。けれども、「私は嫌だ」と理由を言葉にして伝えることは、今、大人にも必要なことだと思う。子どもを持つ母として、働き方について、家庭の役割について、身近なことから、「嫌なこと、違和感を持つこと」を言葉にして伝える。そして、それに対して「どうせ無理」と言わないこと。そうすることで、良い変化は生まれていくように思う。
昨年ずっと夫に対して、モヤモヤの気持ちを持っていた。家事・育児だって仕事と同じくらい大変なのに、どうしてそんなに威張っているの?自分のことは自分でやって、と。そのモヤモヤを「伝える」ことを始めた。時には感情的になるときもあるが、会話ができる場を作り気持ちを伝えるようにした。そうすることでわたしの気持ちも落ち着いてくるし、モヤモヤを解くためにするべきことも見えてきた。

人生は有限、どうせなら楽しいこと、わくわくするようなことに時間を使いたい。そのために、失いたくない大切な時間・場所・人の中では、「イヤ」を解きほぐし言葉に紡ぐことを意識していきたい。

★参照
https://voicy.jp/channel/920/456088

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