「言語を学ぶということと、幼い息子たちへの想い」―2冊の本にヒントを経て―

多言語―特に「英語」を学ぶということ

言葉って何か。物心つくまでは考えることはないですよね。
わたしにとって、言葉の楽しさの入り口は、小さい頃からの読書経験だと思う。
特に、海外の小説が好きで(赤毛のアン、あしながおじさん、少女パレアナ、長くつしたのピッピ・・などなど)没頭していた。高校に上がり、古典を学ぶようになってからは、日本語の美しさにも惹かれるようになった。しかし、高校生までわたしにとって「英語」とは教科の一つとして―嫌いではなかったのだが―暗記するものだと思っていた。

当然、英語を「話す」ということをしたことがなかったので、国際色豊かな大学に入学したわたしはカルチャーショックを受けた。(この大学を選んだのは、単に場所の問題と好奇心をそそられたから)。「英語」を使ってディスカッションする授業は必修科目であったので、英語を話さざるを得ない環境に身を置くこととなった。(日本人同士の授業だったので、ここで努力もせず、英語力が伸びるはずはなかったのだが)。英語は「言語」なんだという意識がようやく芽生え、短期留学に参加することにより、英語は分からないけど「当たって砕けろ」みたいな度胸が身について帰国した。英語は上達しなかった。既習済みであった英語ができない(聞き取れない、話せない)という事態に、これ以上は無理だ!みたいなことを感じ、「聞く・話す」を強化するための勉強法を知らなかったのだ。外国人の友人とのちょっとした会話を楽しむ、くらいの英語力でとどまってしまった。
その後、言語としてフランス語を学び始めた。今度ははじめから「言語」として。フランス語を話したい、そしてフランスについて知りたいという思いが広がり、フランス人の友達に近づき、2か月ほどだが、フランスで生活するという喜びあふれる経験ができた。フランス語は「聞き取れないかも、話せないかも」という恐怖はなかった。これこそ「言語習得」である!!

「言葉」とはコミュニケーションツールであり、「言語習得」とは人とのつながりを多様化させること。このことをもっと早くから知っておきたかったと思う。
なので、息子たちには早くから「体感」してほしい。もちろん、「日本語」もコミュニケーションツールだということも。たくさんたくさん、気持ちを言語化できるようになってほしいし、(長男はまだ3歳だが)わたしの気持ちも話すようにしている。数年後には、彼らが好奇心を持ったことや、自然や社会のことについて、意見交換ができるように親も勉強し、今から日常的に夫婦で論じたりしている。
そして国際言語としての「英語」も早くからコミュニケーションツールということを認識してほしいし、世界には様々な人がいることを知ってほしいと思っている。

今回、子どもに対して「英語」というものを、いつからどのように学ばせてあげるのがよいのか考え、読んだ(出会った)本が次の2冊だ。
① 『ほんとうに頭がよくなる世界最高のこども英語』 斉藤 淳
② 『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』 田中 慶子

後者はわたし自身のために読んだ本だが、息子への教育観についてとても考えさせられた。

2冊とも、「将来役に立つから、早くから英語を習得した方がよい」と言っているわけではない。「英語を学ぶことで、自分の幅が広がり、見る世界、住む世界も広がる」ということを伝えている。
① に関しては、「英語は学び方次第で、国語力、知力が格段に上がる、つまり頭が良くなる」という、自分の限界を広げることができると書かれている。主に親が子どもに対してどのように英語習得の手伝いができるのかということが詳しく書かれている。テクニカルな部分が多いかな。
② に関しては「英語というツールを身につけると、世界各国の多種多様な人々と繋がることができ、学びの幅や視野がどんどん広がっていく」ということ。

特にわたしは、田中慶子さんの著書に深く共感を覚えた。もっと早くから、このことに気づいていたら!!と思ったのである。

田中慶子さん著書より
「留学の意味」

●マイノリティの経験ができる→物事を違う角度から見ることができる
 相手に対する思いやり、人とは違う視点を持つ視野の広さなどが優れている人は、人生のどこかでマイノリティになった経験があることが多い。
●母国でない言語というツールを手に入れるということは、その言語を使う人とつながること。その言語の成り立ちを知ることで、その背景にある文化や習慣や思考回路を垣間見ることができる。「訳せない言葉」にこそ、自分が持っている常識や価値観では理解しきれない世界があることを知る鍵が隠されている!→異言語を学ぶということは、異なる価値観に触れるための選択肢を広げる機会を増やすこと。

わたしも短期留学しか体験していないが、大学生時代に実感したことだ。「留学」は単に言語を学ぶ目的だけではない、(実際、努力しなければ留学しても語学がとても堪能になるわけではない)実際わたしも海外に短期間滞在したり、キャンパスでも外国人との交流を積極的に持ったりすることで、様々な文化の違い、価値観の違いに触れることができた。外国で生活することで、当然だと思っていたことが当然ではないことに多く遭遇したが、「そういう考え方もあるよね」と人との付き合い方に対しても柔軟になったと思う。

そして、田中慶子さんの留学の経験談より、高校の授業の仕方が日本の高校とまったく違うことに衝撃を受けた。

日本の学校→「知識をつけるための教育」 あらかじめ準備された「正解」を「知識」として身につける
アメリカの学校→「考える力をつけるため教育」 答えのないテーマを議論する授業
Ex1)歴史は暗記科目ではない
過去の出来事をさまざまな視点から見ることで、「現在」や「これから」に活かすことが目的。「アメリカを発見したコロンブスは英雄か」それとも「その後の先住民弾圧のきっかけをつくった犯罪者か」などというディスカッションを延々とする。→正解はない
Ex2)アメリカの高校での授業では、、、
文学を通して近代アメリカ史を学ぶ。(歴史の先生と文学の先生のコラボ)
代表的なアメリカ文学を一冊選び、時代背景、作者の人生、その作品が生まれた経緯、そして今の社会に通じる課題や問題があるかなど、自分の考えをまとめてプレゼンする。そして先生含め、全員でディスカッションする。

これこそ、日本人が「他者と同じ」が正解で、「他者と違うこと」は良くない、という考え方が浸透している所以ではないか。なので、日本人は他者と異なる意見は言わないでおこうという傾向がまだまだ根付いている。そうなると、自分では考えなくなる・・・。

田中さんの著書は、単に教育として「英語を学ぶ」ことだけでなく、世界の中で一廉(ひとかど)の人物になるために必要だと思われる教育方法についても考えさせられ、日本の教育に疑問を感じているわたし自身の教育観を大きく揺らがすものとなった。

「英語で(英語を使って)学ぶ」

CLIL(Content and Language Integrated Learning:内容言語統合型学習)=英語を学ぶではなく、英語で何かほかの知識を学ぶ。英語学習にとっても、その方が効率的。(『ほんとうに頭がよくなる世界最高のこども英語』より)

CLILを取り入れて、今後子どもたちには英語で学ぶという経験をしてもらいたいと思う。
・ 英語がわかると、得られる情報量、得られる知識量が格段に増える
・ 得られた知識を自分の言葉で(英語でも、日本語でも)意見を言う
・ 他者とのディスカッションの中で、異なる意見を知り、人はみんな異なること、自分はオンリーワンだということを知る
・ 多様な世の中、さらには世界の中で、他者を尊重し、貢献できる人になる

こんな段階を踏んでいけるような教育が実現できればいいなと、漠然と考える。

話が広大になってしまったが、ここで、はじめの目的「子どもにはいつからどのように英語を学んでもらいたいか」に立ち返ろう。

言語の吸収力が膨大な6歳までに、音としての英語を吸収してほしいとまずは思う。
どちらの本にも書かれていたが、英語には日本語にない発音が多く存在する。英語ネイティブの子どもたちも学習するというフォニックスからスタートして、わたしも不十分である音の理解から一緒に学んでいこうと考えている。

そして「英語」は生きた言語だということ。世界には様々な人がいるということ。
このことを知ってもらいたいので、様々な国の人たち(はじめは英語の先生かな)と触れ合える機会を作り、早いうちから英語を言葉として使っていく。そして今後、海外旅行という経験の中で、多様な世界を自分の五感で体得してほしいなと思う。

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