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273日後にうつになる教員

こんにちは。
わたしは、病休中の20代教員。
うつと診断されるまでに書いていた日記を少しずつ投稿しています。

初めて日記の内容を投稿した前回。
記事のタイトルを「9ヶ月0日後にうつになる教員」にしました。

今日は、その翌日の日記を投稿するつもりなので、
タイトルは9ヶ月0日から一日引いて、
8ヶ月30…?ん、31…?日後?ん?え?

数えづらいわぁ。

日記を書き始めてからうつの診断をもらうまでの日数は、「274」日だと日数計算サイトが教えてくれたので、
今日のnoteのタイトルは「273日後にうつになる教員」にしました⭐︎
これからは、この数字から徐々に数を引いていきたいと思います。

え、「100日後に死ぬワ○」のパクリ?

あの一世を風靡した某ワ○さんも2020年にご逝去されているというのに…。
2024年になった今このネーミングは…という声が聞こえてきますが、
数えやすさ重視で!🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

それでは以下、日記の引用。


2023.8.22(火)

日記2日目。
部長と2人で話をした。伝わったかな。
いやな雰囲気ではなかった。けれど、逆に重荷を背負わせた気もする。
「自分がそう思われていること、気づきもしなかった。…自分はこうしてほしいと思って言ってたけど、思う方向と反対にいっちゃってた。嫌われたくて部長をやっているわけじゃない。」みたいなこと言っていた。
中学生でこんなこと言えるってすごいな。私は中学時代そんなこと気づけなかったし、言えなかったよ。と素直に感動してしまった。

集団生活において起きる問題は、絶対1人のせいで起きるものじゃない。自己否定だけに走ってほしくなくて、あなただけじゃなく、周りも一緒に成長しなければならない。と伝えた。

大人になっていく過程ってこういう心臓わしづかみされるような苦しさがいつも隣にいるよな。大丈夫。この苦しさの分、もっともっとあなたは素敵な人になるよ。
勝手に共感して、盛大にしんどくなった。

全方位に配慮して言葉を選ぶのは、本当に疲れる。
ちゃんと配慮できてるのかもわからん。

「言葉はオブラートに包める」と授業で言ったけれど、
オブラートの過剰包装で本当に言いたいことが伝わらない場合も往々にしてある。
相手が中学生なら尚更だ。
言葉の意味は伝わっても、細かなニュアンスまで感じとるにはまだむずかしい部分がある。
届かない言葉を永遠に垂れ流している教員は哀れだ。

とか、色々考えてたらまとまらなくて、終わりのミーティングでの言葉は失敗。
言葉はむずかしい。

1年生に実技指導するのもむずかしかった。つらい。苦しい。
この仕事向いてない。

組織を作るには、3年かかる。と夫が言っていた。
でも、不安すぎるよ。

苦しい。準備をしても不安になる。自分にできる気がしない。
どうしてこんなに自信がないんだろう。
考えすぎが自分のパフォーマンスを下げていると思う。

本当の私の魅力は?自分は努力できてる?
昔頭の中にあった空想、妄想、最近してないな。

もう1人の私。憧れの。

私はギリギリでしか生きられないの?
成功体験が足りないのかな。
こんなに決断力なかったっけ?
なんかずっと悲しい。



《後記》

病んできてるねぇ。

教員をやっている方は、日々どのようなことを考えて子どもと接していますか。
毎日子どもと対峙して、子どものことを、子どもの未来を考えて…。

私はそんな日常を走り続けることができず、今は日陰の給水所で息切れしながら休んでいます。
私がこうして休んでいる間にも、子どもに向き合って頑張っている先生方がいる。そんな先生方を私は心から尊敬しています。

毎日子どものそばにいて、子どもと関わる。
私の言葉が、この子の人生を変えてしまうかもしれない。
この子の心にトラウマを植え付けてしまうかもしれない。
間違ったことを教えてしまうかもしれない。
間違った伝わり方をしてしまうかもしれない。
有意義な学びを提供したい。
子どもたちがより多くの気づきを得られたらいい。そのためには…。

年を重ねるごとに増えていく「責任」のバーベルを持ち上げられないどころか、いつしか勝手に押しつぶされていました。

そう、
まさに、
自爆💣

わたしは中学時代、先生から様々なことを教えてもらいました。
その中に、
「大人って理不尽だわ〜。」
「世の中には変わった人がいるものだ。」
「こういう大人にならないようにしよう。」
という学びもありました。

それは、「折り合いをつける」ことの大切さを私に教えてくれました。
皮肉を言いたいわけではありません。

この学びは、現代社会を生きる上でとても重要なものだと思うのです。

だから、
わたしが教師としてどのような言葉を発しようと
学ぶ子は学ぶし、
学ばない子は学ばない。
わたしが反面教師になろうと、学びを与えていることには変わりない。

よくある担任がしっかりしていないと生徒が自立し、団結する的なことで、
わたしが何かをしてあげたいと思うのもエゴなのでは?
むしろおこがましいまであるな。

そう思う自分もいます。

その一方で、
だからと言って、適当に子どもの前に立つのは罪だよ。
周りの人の言葉を受け取って子どもたちは大人になるのだから。

1人でも何かを感じ取って、その子の人生がちょっとでも豊かになったらそれでいいんだ。

と説得してくる自分も胸の中に飼っています。

こんな感情が入り乱れて、毎日胸中てんやわんや。


…と、また長くなってしまいました。
そんなこんなで、

厨二病ですか?

とツッコミたくなるわたしの感傷ドン浸り日記はまだまだ続きます。

では、また。


My日記帳。


まどり


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