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カオス

混沌。カオス。
日本語の授業でそれは、言葉で言い表せない世界を指す言葉だ、と教わった。表しようがないから、混沌・カオスとしてあらわすのだと。
だとするならばあの夜ほど混沌とした夜は、無かったのではないか。
その不思議さを、言葉によって伝え共有したいが、言葉で説明できてしまってはその世界はカオスではないことになる。
でもとにかくこの不思議なふしぎな夜のことを少し。思い出しながら語ろうと思う。

友人と旅を始めて一週間くらい立った頃。ある温泉街の大きな街にたどり着いた。
街が一望できるほどの神社の階段を上った。振り返ると雲にかかった夕暮れの街だった。
長い参道の階段を下ると、登ってくる時には気が付かなかった
目を引くお店があった。カラフルで大きなワニの絵が、壁に書かれていてそこに収まるようにして、一見関係なさそうなガラクタが調和している。
僕たちは吸い寄せられるようにして、大きな窓ガラスから中を覗き込んだ。
手前にカウンター席とキッチンが見え、奥にはこれまたガラクタを集めたサーカステントのような狭いステージがあった。時間が時間なので客はまだ誰もいない。

街の賑やかな方へ夜ご飯を食べに行き、出直した。
店に入ったのは確か11時過ぎだった。雨がしとしとふる静かな夜だ。
いらっしゃいませ〜
背が180くらいあるアフロのおじさんが想像より柔らかい声で言った。
奥のテーブルがあるソファー席へと案内された。ありがたいことにそこには
薪ストーブがあった。
アフロのおじさんはおそらく店員か店長なのだろう。そしてキッチンに30半ばくらいの女性と、カウンターにそれより少し若いくらいの女性が居た。
そのほかに人はいない。ただ片方の耳に切れ込みの入っている黒猫が1匹いた。
メニューが運ばれてきたが、店内の装飾が気になって落ち着かない。
カウンターの後ろ側には黒板がありライブの予定が、チョークで書き込まれている。店内奥のドラムセットが置いてあるところは、天井が低くなっていて、なんだか薄気味悪い布をつぎはぎして作ったようなシマウマと猿がいる。それに天井から数本の糸で吊るされたピエロの人形が無作為に並べられている。
メニューにもクセがあったが、「とりあえずチャック開いてるゾウ」というのを頼んだ。
運ばれてくるのを待つ間、黒猫が膝の上に乗ってきたので背中を撫でながら
火をぼーっと見ていた。「チャック開いてるゾウ」が運ばれてきて、とりあえずカンパイ。
若者の僕らに興味を示したのか、アフロ頭がすかさず聞いてくる。
どこからきてるんですか。
僕たちは今リヤカーを引いて旅をしていること。今まで通ってきた街の名前。これから行くであろう町や場所、今日は近くの公園で野宿をすること、
でも雨が降っていてそれが億劫なこと、など身の上話を赤裸々に話した。
リヤカーの旅の話にとりわけ興味を持ってくれていた。
そんな風に喋っていると、向かい側の友人の足元に、何やらネチョネチョした練り物のような何かが落ちていた。するとそれは、彼が使っている肘掛にも乗っていて、彼の上着にべっとりとついていた。気付くのが遅かった。

お店の人も、すいませんねと謝りつつ、これはなんだろうという議論が始まった。黒猫のフンのようだが、その割には一切匂わない。じゃあ嘔吐物か。そんな下らないことを、あれこれ話してるうちにアフロ頭が、
お詫びになんですが、と店自慢の手羽先を持ってきた。
不幸中の幸い、決して裕福な旅ではない僕らはありがたく頂いた。

そんなこんなしているうちに時計の針は十二時を回り、一人の若者がやってきた。故郷、会津若松を飛び出して、電車を乗り継ぎ今ここへ。東京の大学に行ってるという。
旅、若者という共通点で話は一時的に盛り上がり、一気に距離が縮まった。
故郷の会津若松で2011年に何を経験し、今現場がどうなのか、
福島の狭さを感じ東京に来たが、やっぱりアイデンティティーは福島にあるようで、東京に地方で集まれるコミュニティーを作りたいという野望を持った学生だった。僕も何度か福島や東北を旅していたし、このお店でも何度か支援物資を送っているのがたまたま会津若松だったという不思議な繋がりがあった。

「本当にひどいことになっていましたから、、いや大変だったと思いますよ」

アフロ頭がしみじみ言った言葉が忘れられない。
何度か自ら足を運び、目で見たものにしか発せない音を含んでいた。

そしてその会津若松からきた若者は、堰が切れたように胸の内を語り出した。ここにきて本当によかった、となんども言っていたから心底望んでいたのかもしれない。中学時代の突っ張って悪さばかりしていた時代の話。
でも3.11があってから考え直し、地元に何か残せないだろうか通ったこと。今後ディーズニーランドのようなテーマパークを福島に作りたいという壮大な夢に至るまで、タバコを数本ふかしながら語っていた。ジャズのように雑談はいつだって即興だが、完全に彼が乗っ取り、その他ははしんとして耳をそばだてていた。
3・11はいかなる人にもなんかしらの爪痕を残し、多くの人の人生を変えて行ったのだろう。僕はそのいささか大きすぎる夢に、吹き出しそうになりながら、別の節ではその事の重大さを感じずにはいられなかった。

彼がお代わりを頼むタイミングで僕らもいっぱいずつもらった。
だんだん楽しくなってきて、時間の感覚がまず溶け始めた。
次第に話は曲調を変えるようにして、人間の心理が新たなテーマになりつつあった。彼は心理学が専門で、カウンセラーなどもかじっていた。
カウンターに座っていた女性も、何やら不思議な人でだいぶ回っているのか、アフロ頭といちゃついている。話が自然と耳に入ってきたのだけど、
いずれアフロ頭と結婚するらしく、どこか遠くの街から近く越してくる予定だと言っていた。今はこの街のゲストハウスに寝泊まりし、夜な夜なここへ通っているらしかった。職業は何かと聞けば、G 20サミットの通訳を受け持っているという。本当か嘘かは分からない。
でもなるほどそう言われると、プライドが高そうだし、素面であれば相当頭が切れそうだ。
そのうちその若者と女性がわりに真剣に話し出す。僕と友人はただ火に当たりながら、ぼんやりとする頭を抱えている。なんだかこの空間すら嘘のものではないのかという気がしてくる。
女性の話によれば、沖縄で出会ったシャーマンのようなおばあのすごさについて、若者に訴えている。
多分冷静な時に聞いたら、変な話だと感じるだろうが、若者も若者で
ウンウン頷きながら、深く感心している。
いよいよ頭が混乱し物事がうまく理解できなくなってきた。夜がふけうまく夜を明日につなげる事が出来ないのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
そんな中、また銀色のキラキラ光るドレスを着た女性が入ってきて、僕らの席に相席した。軽く言葉を交わすと、タバコでやられたのだろうか、ハスキーな声をしていた。髪を茶色に染めていて、夜の街からやって来たのだから、そういうお仕事なんだろうと思って踏んでいると、アフロ頭が注文を取りながら言った。

「ここは日本で数少ないストリップの残るまちで、踊り子さんなんですよ。彼女。 ストリップは行かなきゃだめでしょ。」

さっきの震災の時の言葉の響きを引きずってか、この街の神髄に触れたような気がした。踊り子さんは何かを悟ったように言った。


「でも実は私、もう終わりかなって思ってるんです。この町。」
「なんでですか?」
「今日踊り終えた時、直感的にもう呼ばれないなって気がしたんです。」


踊り子さんの話によれば、この世界は若さが大きく作用するし、ひと劇場につき1週間から10日間ごとに入れ代わり制なのだという。つまり雇われる側の踊り子たちは、自分で書くストリップ場と交渉し全国各地渡り歩く。
この人が言った言葉は、自分がもう出来ない年齢に差しかかっているという意味での終わりと、この文化自体がいよいよ姿を消しかけているという意味での終わり、二重の重みを帯びていた。そして彼女の暮らしも一つの終わりを近いうちに迎えてしまうのだろう。その目には見えないが、はっきりとした境を肌で感じ取ったのだろう。
終始悲しげな千秋楽を迎えたような、神妙な面持ちだった。
男はつらいよ、ならぬ女はつらいよだ。
隣にストリップで踊っている人が仕事を終え飲んでいる姿が、僕にはあまりにも非日常過ぎた。現実と夢の境もいつの間に溶けて言ったのだろうか。

ふと話が途絶えると、みんなでカウンターの端っこで意気投合している二人の声に耳を傾けた。
G20の通訳が仕事だと言っていた訳ありそうな女性が、簡単に見てもらえるシャーマンを紹介している。若者はその名刺をありがたそうに受け取り礼を言う。もう何が何だか分からない。
それにアフロ頭のアフロは、カツラだったらしく取り外して、タバコを吸っている。完全に騙されていた。何かカミングアウトするときは、少しばかり心の準備をする時間くらい欲しいもんである。

このお店にいるのはアフロ頭(でもアフロではない)のおじさん(結局店長でも店員でもない)とその彼女であるシャーマンに心奪われた自称通訳者、
心に深い闇を抱え、そのどん底にいるのためか、ほとんど語りはしない思い影を落とした店員のおばさん。福島からふらっと吸い寄せられるようにして、夢を持ちやって来、ここで劇的な出会いを果たした東京の大学生。
もう今日が終わりだと悟ってしまって、しみじみと余韻に浸るストリッパー。そしてリヤカーで旅をしてこのお店に出会った僕ら二人。片方には、おそらくフンらしきものがついてしまった。
そしてその加害者である黒猫。

ここのお店の装飾のようにまとまりがなく、全員が異質な存在として
同じ空間を共有していた。
それがおかしかったし、現実味があまりにも欠如していた。
だが数々の物語がここで重なり合い、このような一夜となっていた。
あまりにも刺激的で、冷たい雨の中、街の何処かに消えていく大学生や
哀愁漂うストリッパーの背中を見送りながら、余韻に浸っていた。

そこから公園までしばらく黙って、僕らが東屋で野宿したのはまた別の話。

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