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8割で満足してしまっていた自分へ

私は、昔から8割で満足してしまうところがあるなぁ、と思っている。

それは苦手なことが沢山ある割には周りの人のおかげで生かされているという感謝の気持ちがあるからかもしれないし、自分で自分を満たす方法をある程度知っているからかもしれない。

何かのトップになりたいと思ったことはあんまりなくて、自分の状態を確保できて自分の好きな世界を探求できればOKという自分が存在している。
同時に与えられた状況のよい部分を見つけるのが比較的得意なこと、身の回りのことを工夫しながら構築していくことが好きなこと、そんなことを少し誇りにすら思っているかもしれない。

もう少し分解してみると、自分自身の性質として心理的安全性がしっかり担保されていて、知的好奇心が満たせる状態だと、ある程度は満足感を抱いてしまうところがある。

大変な状況の渦中にいる時は「どうしたらこの状況を本質的に解決できるのか」と必死に考えるのだけど、一旦落ち着くと思考のスピードが落ちてしまう。もちろんその落ち着いた状態だって、永遠ではない、とどこかでわかりつつ。

今まではそんな自分に対してどこかで、まぁそんなもんだ、と思ってしまっている部分も正直あった。
ただ徐々に引っかかりを無視できなくなってきた。
本当にそれでいいのか?と感じる瞬間が度々訪れるようになった。

コーチングを学びはじめてから、痛みに向き合い自分の大切にしたいことと乖離しない行動を少しずつ取れるようになってきたと実感している。
一方で進んでいるベクトルについてはしっくり来ているけど、120%で進めているかというと、まだまだだなぁ、ということも感じている。

それと同時に私は8割の状態が確保されればOKという世界観で今まで生きてしまっていたのかもしれない、ということにも気づかされた。
自分をそれなりに満たすだけなら、正直8割で十分だと思う。
けれど今日「自分のいのちを生かして生きたい」そんなことばが自分から出てきて、あぁ私はそう思っているのだと、とてもしっくりきた。

そう思えたのは、きっと人の深い部分に立ち会える機会が増えてきたからなのだと思う。
私はコーチングを「まるごとの自分で生きることを支援するもの」と捉えているのだけど、まさにまるごとの自分で生きようとするひとに出会う過程ですごく沢山のエネルギーを受け取っていて、自分自身が放置していた様々なテーマについても向き合いたいという気持ちになってきている。
出会うことのインパクトって本当にすごい。

基本的に自分に対しても、他人に対しても、一見欠点に思えることも含めて「自分の持って生まれた特性を生かして生きるのが大切」と考えているけど、それは努力をしないということではもちろんない。

一方で苦手をどんどん克服すればよい、とも全く考えていない。

自分を充分に生かしてまるごとの自分として生きるために、苦手なことを含むテーマにしっかり丁寧に向き合うのも時に必要、というのが今しっくりくる感覚だ。
向き合うのが辛すぎる時は一旦おいておけばいいし、その時は認知しておくだけでもまたタイミングはくる。

そして今私にもそのタイミングが来ていると思う。
丁寧に向き合うことで、どんな世界が広がるのだろう。

苦手なことの一つとしてアウトプットがある。
学ぶこと自体のプロセスがとても好きで、ついついインプットを優先してしまう。
「自分のことばを公の場に出す」ということに対して、少し怖さも感じているのもあるかもしれない。

でもことばを紡いで外に出していくことが、今私にとって必要なプロセスだと感じている。
それにトライする中で、よりよい循環をつくっていければと思う。

また書きます。




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