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味噌への偏愛を軸にした考察をはじめてみる

あなたは、どのくらいお味噌汁のことを考えたことがあるだろうか。人によって一切まったく味噌汁のことなど考えたことがないかもしれないし、反対にものすごく深く長く味噌を思う人もいるだろう。

味噌汁とはキリがないものだと思う。
キリがないほどに長く日本食を支える調味料で、キリがないほど幅広く家庭の食卓から本格和食まで存在し、キリがないほど無限にレシピができるのだから。

味噌の原料は大豆・麹・塩。
潔いほどにシンプルだが、これらが発酵のプロセスを経ることで味わいに複雑性が現れる。シンプルな材料であっても、麹の種類や割合、地域や好みによる素材の違い、熟成期間などによって、味噌の魅力は本当に千差万別だ。

きっと多くのひとが、温かいお味噌汁を一口ふくみ「あ〜、ホッとする」と肩の力がゆるむような気持ちになった経験があると思うんだけど、あれは別に、私たちが幼少期からお味噌汁を飲んでることが理由なわけではないと思いはじめた。なぜかと言うとこれまでに何度も、外国出身の友達や海外の知り合いなど「生まれて初めて味噌汁を口にする人」であっても同じような感覚になってるひとを目にしたことがあるから。

思い返せばそのことを考え始めてから、不思議な味噌の魅力に惹かれ始めた気もする。味噌が媒介となり人の体に伝える「何か」に好奇心をくすぐられる、そんな気持ちになるのだ。

少し前に、お味噌汁についてこんなツイートをしたら想像以上に反応があった。

調味料の味噌がそもそも千差万別なうえに、たいていの食材を具として受けいれるお味噌汁は、もう毎食が一期一会みたいなものだ。(その意味でわたしは、常に同じ味を機械的に大量生産されるタイプの味噌をスゴイとも思ってるよ。あれはあれでいい。)

というわけで自分のブログとは別に、noteではわたしの一期一会を残す味噌汁ログをはじめてみることにした。味噌そのものを愛おしく思う気持ちと、日々いただくお味噌汁を軸にした暮らしの考察。noteの使い方として適切なのかどうか微妙な気もするけど、偏愛を語っても許される許容があるよね、noteには。

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