「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか?」
この一文は、1951年に書かれた渡辺一夫さんのエッセイのタイトルです(*1)。
例えば「寛容」な人の目の前に「不寛容」な人が現れた、としましょう。
このとき相手に「寛容の精神」を植え付けようとすることは、相手の不寛容さに対して「不寛容」となってしまう・・・そのパラドクス(矛盾)をついた小論です。
渡辺氏は言います。
寛容が不寛容に対して不寛容になってしまった例が歴史上いくつもある。
しかし、不寛容な手段によって寛容を守ろうとする態度は、むしろ相手の不寛容を更にけわしくするだけである。
寛容は不寛容に対して不寛容になってはいけない。
我々は、こうした悲しく呪わしい人間的事実の発生を阻止しなくてはならない、と。
彼が例に挙げるのが、宗教革命で有名なカルヴァン派の「不寛容」です。
隣人愛を説くはずのキリスト教の名のもとに、カルヴァンは「異端者」の弟子を火刑に処しました。
これはまさに、彼らにとっての「寛容」の信条を守るための、不寛容な暴力です。
これには、カルヴァン派の内部からも非難の声が上がりましたが、中心勢力から一蹴されてしまいます。
人間の歴史は、このような「寛容」のための「不寛容」の例で溢れています。
しかし著者は、このとき上がった「非難の声」の存在、そして宗教改革と同時期にあったルネサンス運動の存在に一点の光を見いだします。
ルネサンスとはまさに、ギリシャ神話などの異教的モチーフの復権をはじめ、キリスト教に寛容の精神が噴出した時代でもあるからです。
僕は、人間の想像力と利害打算とを信ずる。人間が想像力を増し、更に高度な利害打算に長ずるようになれば、否応なしに、寛容のほうを選ぶようになるだろうとも思っている。
その点、僕は楽観的である。(*2)
渡辺氏のもとで学んだ作家の大江健三郎さんは、この「楽観的」という言葉に「よくよくの決意」を読み取ります(*3)。
現実にはあまりにも、暴力に対する暴力、不寛容に対する不寛容で溢れている。しかし、その中でもなお、寛容を模索する声が絶滅することはなかったではないか・・・。
自分に言い聞かせるようにそう書き連ねる「楽観的」なその態度は確かに、
悲観でもなく祈りでもなく、決意です。
当たり前のことが当たり前でないこの世の中で、その追求を放棄してはいけないし、それは不可能ではないはずだ、という、決意です。
渡辺氏はこの『寛容は~』の文章を1951年に発表しているのですが、私が読んだ1972年の著作集では、このような付記が付け加えられていました。
「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」にはなり切れないし、「寛容」の何たるかを知らぬ人は「自己批判」を他人に強要する。(pp.263-264)
この一文からも分かるように、
この寛容論の核にあるのは自己批判の態度です。
実は、本書の原文には、「寛容」に「トレランス」、「不寛容」に「アントレランス」のルビがありました。
トレランスtoleranceの原義は「重さに耐えること」。
現代英語においても、「我慢」「忍耐」などの意味で用いられます。
そう、寛容toleranceであるには、必ず忍耐を伴うのです。
それは、自己批判の苦痛に対する、忍耐です。
私はあるとき、知人からこんなことを言われたことがあります。
「他人が言っていることが正しいとは限らない。だから、自分が言っていることも正しいとは限らない。」
他人の不寛容を責めることは簡単です。
しかし、自分の「寛容な」信条とその行使に潜む「不寛容」に気づくことは、苦痛と忍耐を伴います。
寛容とは、他者に対する態度ではありません。
他者と対峙したときの自分を反省する、自己への態度です。
今、渡辺一夫氏の寛容論を取り上げることは、
私にとっても自戒をこめた「決意」です。
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(*1)渡辺一夫1972『寛容について』筑摩書房よりpp.248-264。記事初出は1951年。なお、オリジナルには「寛容」に「トレランス」、「不寛容」に「アントレランス」のルビが振ってあります。
(*2)読みやすくするために、文章中の前後関係を入れ替え、中略をして引用しています。今回はその作業によって内容の論理関係を崩すことはない、という判断です。また、noteの仕様上、原文につけられていた傍点を省略しています。
(*3)大江健三郎1972「架空聴講記」渡辺一夫『寛容について』筑摩書房よりpp.291-334.
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