自己紹介【2020年版】②芸大に4年、東大に4年

前回、趣味のレポートづくりが高じて芸大に入ったところまで書きました。

こうしてその門をくぐった芸大の4年間は・・・本当に楽しかった!

音楽学で「学問としての」音楽の面白さに初めて触れたこともありますが、
卒業に必要な単位とは別の、実技レッスンを受けられることがとにかく幸せでした。

歌舞伎のお囃子、三味線、琴などの日本の伝統楽器、中国琵琶やシタール(インドの弦楽器)、日本舞踊やバロック声楽など・・・
4年間で10種類以上の実技を、日本を代表する一流の先生たちから直接学びました。
(それなのに毎回ロクに練習せず・・・先生方、ごめんなさい・・・!!)


もう一つ、私が足しげく参加していたのが、毎回違うゲストを呼ぶ講演会形式の授業です。

坂東玉三郎さん、コシノジュンコさんなど、一流アーティストたちや、
雑誌の編集者さん、文化庁の職員さんなど、さまざまな「芸術に関わる人」のお話をききました。
そのときのノートが今、「ネタ」の宝庫になっています。


そんなことをしていたら体育の単位を2年連続で落とし、
1年生に交じって3年間も体育をやることになってしまいましたが、
4年次進学のとき、各科の首席に贈られる安宅賞をいただきました。


こんな夢のような芸大の環境でしたが、少しずつ感じていたのが、芸大と私のちょっとしたズレです。
芸大は「音楽について」突き詰める場所でしたが、私はどちらかと言うと「音楽する人間」に興味があったのです。

楽譜上の一音や作曲家の一発言にこだわるのではなく、文化、社会、からだ、言葉といった、もっと広い視点から勉強したい、という気持ちが強まりました。
そこで一般大学の大学院の情報を集め、東大の文化人類学研究室の修士課程を受験することにしたのでした。

今思うと、相談に乗り進学を快諾してくれた両親には頭が上がりません。
大きな額ではないのですが、安宅賞受賞時にいただいた賞金(奨学金)を全て東大の受験料に使い、自分への覚悟としました。


さて。
そうして入った東大の大学院も・・・ものすごく楽しかった!


私が東大で得たものは3つあります。

ものすごい先生、
居心地の良い仲間、
そして恵まれたキャンパス環境です。


高校生の頃、東大という場所は天才や頭でっかちなガリ勉の集まりだと思っていました。
メディアでもそう描かれがちです。

そこにまともな受験勉強をしたことのない私が入ったら、肩身が狭いんじゃないか・・・と入学前までは思っていたのですが、
東大に入って知ったことの一つは、教授も学生もほとんどは(宇宙人のような天才ではなく)普通の人間だし、本当に頭の良い人こそ自分の頭脳に対して謙虚であり、他人を尊重するということでした。


例えば、研究室のすごい先輩が、ペーペーの私に「土田さんのその議論、この点が面白いね。これはどうなっているの?」と興味をもってきいてくれます。
後輩にあたる学部生も現役の東大生。私よりずっとたくさん勉強してきた人たちですが、私は彼らからバカにされたと感じたことは一度もありません。

この雰囲気の背景には、文化人類学という学問の広さもあるでしょう。
アボリジニの狩人の研究をしている人もいれば、ドイツの動物性愛者の研究をしている人もいる、というように各研究者の研究内容が多岐にわたっていて、それぞれが相手のフィールドに関してはほぼ素人として、「面白い、面白い」と聞き、議論し合うことができる一面がこの学問にはある、と私は思っています。


すごい人こそ謙虚であるというのは、東大だけではありません。
大学院に入ると、学会などで他大学の先生や学生と出会う機会があるのですが、
特に博士課程より上の人たちというのは
豊富な知識をもち、
鋭いコメントを返し、
とにかく頭がよく、
なのに威張りません。


ハアアー、すごい。


思えば、芸大でも東大でも、私は何度もこのため息をついていました。

芸大では、芸と徹底的に向き合うすごい人たちに出会い、
東大では、智と徹底的に向き合うすごい人たちに出会いました。


同年代の「すごい人」に囲まれると「それに比べて私は・・・」という僻みも少なからず出てきてしまいますが、
そんなすごい人がこんな私に対等に話しかけてくれる環境にいた/いるということは、私の一生の財産です。


実は修士に入った時点では、その後企業に就職するつもりでいました。

正直に言うと、東大を受験した理由には最終学歴を上書きして就職の選択肢を広げるという下心(?)もありましたし、
小学生頃から意地を張るように「研究者だけには絶対ならない!」と思っていました。(ちなみに長いこと将来の夢は「動物のお医者さん」でした。)

それが何の因果か、研究者を目指して博士にも進学することになり、現在博士2年目の3月・・・。
修士に2年博士に2年と、芸大にいたのと同じ4年間を東大生として過ごしたことになります。


では、どのような因果だったのか。なぜ、日本を離れてバリ島に来ることになったのか。
それは、次回のお話にとっておきましょう。

(Next>>>『自己紹介③現住所:インドネシア・バリ島』)


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?