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スタンダード化

私たちの身の回りのモノは、先人たちの努力によって、日進月歩の改良の結果でできています。


100年前よりも、10年前よりも、1年前よりも、今が一番、便利な世の中になっているはずです。


しかし、私たちの身の回りは、常に現段階でできる最高のモノで囲まれているとは限りません。

その一つが、スタンダード化です。



スタンダード化してしまったから、実はそんなに良くないんだけど後戻りできない、というものがあります。


典型的なのは、英語です。


英語は今や世界共通語となっています。

しかし、文法的にいうと、三単現のSもあれば過去形や過去分詞形などの変化も覚えなければならず、

皆さんも英語で苦労した経験があるのではないでしょうか。

世界の共通言語とするには、本来は非常に効率の悪い言語だと言えます。


中立的な国際言語として、エスペラント語というのがつくられましたが、

それが国際的な場で使われているでしょうか。

依然、英語の独壇場です。

「より良いもの」が用いられないのは、もう既に英語がスタンダードだからです。



もう一つ例をあげると、パソコンのキーボード配列があります。

現在のスタンダードは、左上から横に読んでQWERTYと呼ばれています。

この配列の由来は、タイプライター時代にアームがぶつかるのを防ぐ並びだとか、

モールス信号の打ちやすさだとか言われていますが、

パソコンが主流の現代においては、意味がありません。



今、私たちが使っているものは、自分が動かしているようで、

実はモノや環境に、そういう動きをするように仕向けられています。

パソコンで文字を打つとき、もうキーボードの形が決まっていて、キーボードの配列が決まっていて、

私たちはその配列を覚え、慣れ、私たちの体を「使えるようにする」

言い換えれば、モノにあわせたからだになっていくのです。



スタンダード化は、互換性と直近の効率を生みます。

一度QWERTY配列に慣れたら、他の人のパソコンを借りても打てるので、

いちいち新しい配列を覚える時間を短縮することができます。

これは有限な時間を生きる上で、大事なことです。


しかし、長期的に見れば、

私たちは、既に時代遅れとなっている非効率的な動きをさせられていて、

互換的なからだへとつくられている

のかもしれません。

毎日、毎日。そうと気づかぬまま。


今よりも、1年後、10年後、100年後もきっと、

私たちの身の回りは、多くの最良のモノたちと、

「そんなによくないんだけど後戻りできないスタンダード」に

囲まれているでしょう。


私たちがモノをつくっている。
それは事実です。

しかしそれと同時に、

モノが私たちをつくっているのもまた
事実なのです。

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