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芥川龍之介【猿蟹合戦】

 私の記念すべき初めての朗読投稿は、芥川龍之介の猿蟹合戦だった。初めての収録、初めての動画編集、なんだかんだ久しぶりに触れるクリエイティブなワクワクと初めて知る技術が楽しくて、一気に仕上げたのは記憶に新しい。(だからと言ってはなんだが、荒が目立つのはご容赦願いたい。)一発目の投稿だし、やはりもっと知名度の高い作品がいいのではと思ったこともあったが、この作品を読んでからどうしても動画にしたくてたまらなかった。

 読書好きの皆様はご存じかもしれないが、私のように現代の小説ばかり読み漁っていると触れる機会も少ないと思うのであらすじをご紹介したい。猿蟹合戦といえば幼い頃から絵本で親しんだ方も多いと思うが、地方によっては登場人物や顛末に多少のバラつきがある。大筋はこうだ。

 握り飯を拾った蟹を羨んだ猿は、手持ちの柿の種の方が価値があると唆して巧みに柿の種と握り飯を交換した。蟹は柿の木を脅し急かしつつも大事に育て、たった一粒しかなかった柿の種は逞しく育ち、その枝に美しい柿の実をたわわに実らせた。しかし蟹の手足はご案内の通りである為どうしたものかと熟柿を見上げるのみであったが、そこへ件の猿の登場である。蟹は柿を代わりに取ってほしい。御礼に柿をわけてあげるから。と言うと猿は二つ返事で木に登り、その場で甘い柿を貪った。そして蟹へは青柿を放り、剰え狙いを定めて投げつけるに至った。青柿に潰され悔し涙に暮れる蟹のもとへ、親切にも敵討ちの協力を申し出たのは臼、蜂、栗、牛糞あたりが有名ではないか。大阪では牛糞の代わりに卵が登場するらしい。また別の地方ではワカメだか昆布だか……。まぁそんなわけで仲間を得た蟹は無事仇を取り、猿は命を落とすことになる。

 ちなみに近年の絵本では残酷描写は徹底的に排除される傾向にあるため、猿や蟹は大怪我で済む場合もあるが、平成初期あたりまではたしか蟹は死んで子蟹が仇を討ったり、猿も死んでいたと記憶している。もちろん地域によって微妙に変わってはいるだろうが。

 長ったらしく書いてしまったが、これは本来の猿蟹合戦のあらすじである。芥川龍之介の猿蟹合戦は、これを元にしたパロディだ。猿を殺してしまった蟹とその仲間たちは後に裁判にかけられ、主犯の蟹は死刑を、共犯の仲間たちは無期徒刑を宣告されたと言う語られざる後日談である。死刑を宣告された蟹は世論や有識者に同情されることもなく、あっさりと刑を執行された。最後は「君たちもたいてい蟹なんですよ」と読者に語り掛けるように締めくくられている。

 つまり猿の罪は傷害だとしても、蟹は私憤からくる殺害であるから世論は同情しなかったというわけだ。それを気の毒に思うのは婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない、とまで書かれている。しかし、本当にそうだろうか。

 一応私も一般的な婦女なので、まぁ男性諸氏からみれば多少感傷的に――というか情緒も安定して見えないことだろう。でも考えてもみてほしい。猿は目先の欲に目がくらんで、今すぐにはどうともできない柿の種と、僅かばかりの腹の足しに握り飯を交換したのだ。蟹は先のことを考え、単純に考えれば8年もの歳月をかけて柿が実るのを待ったのだ。しかし8年かけて得た実りは、実質手に入れることはできなかった。例えば柿を育てあげるノウハウや経験等は別の実りにもなるだろうが、果たしてそれがまた実るまでに今度は何年待てばいいのだろうか?

 以上の事を考えてみれば、情状酌量の余地はあったのではないか。せめて執行猶予がついてもよかったのではないか。と私は同情してしまう。
――とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。――
 本文からの引用であるが、この事から私は猿=権力者ではないかと思う。君たちもたいてい蟹なんですよ。と締めくくられているのは、そういう意味を含んでいる気がしてならない。権力者に楯突く一般人は、確かに天下のために社会から抹殺されることもあるだろう。だが、他人の成果をまんまとせしめた猿は因果応報の報いを受けた。これだけでも現実よりずっと救いがある、と読了した私は思い、僅かばかり溜飲を下げたのだった。

 まぁ個人的に猿は好きだ。あの愛らしくも生々しい瞳が好ましい。ニホンザルも好きだがワオキツネザルが一番好きだ。しかしリスザルも捨てがたい。ちなみに私の実父は、幼い私をリスザルから守るために耳を齧られたと三十路を過ぎた娘にさんざ言い聞かせてくるが、それはまた別の機会があればお話ししたい。そんなに膨らむ話でもないし。

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