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自殺のこと、誹謗中傷のこと

最近各所で大きく取り上げられている、木村花さんの死についてのニュース。

ご存知の方も多いと思う。

下の記事だけじゃなくて、様々な視点からの記事が沢山公開されている。

https://www.google.co.jp/amp/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200604/amp/k10012457591000.html


私は中学の時にいじめのようなものを受け、それだけの理由ではないけれど不登校になり、しばらく保健室登校をしていたが精神病になり入院・転校、その後も精神病に囚われ苦しんできた経験がある。
元々生きづらいと感じていたし、おそらく他の人より死について、沢山の時間考えてきたと思う。

そういう経緯もあって、前々から自殺したひとや周りの反応、誹謗中傷問題について、色々と考えてしまうところがあった。
例えば、私は死ねなかったけど(死にたかったのに結局死ねなかったので未だそういう風に感じる)死んでしまった人はどう感じてどう思っていたんだろうとか、死ぬ前死ぬ後で周りの態度がガラッと変わることに不自然さを感じてしまうこととか、色々色々。


今回亡くなった木村花さん。
彼女は人気番組に出演されていたこともあり、すごく大きく取り上げられていて、色々な意見を聞く機会が増えているため、私も言葉にしたいと思った。
というより、色々考えすぎて黙っていられなかった。

もしも読んでくれている方がいるなら、人にはそれぞれの境遇、性質、思考があると思うし、完璧に正しい考えなんてきっとこの世にないと思うから、あくまでこれは今現在の私が感じたこと、他の人に伝えて一緒に考えてほしいと思ったことだと受け取ってもらえたら嬉しいです。

私個人の境遇、性質、思考による好き嫌いは正直あって、そのせいで口調が強くなっていることがあるかもしれないけれど、独裁者よろしく自分の意見が絶対だ!と相手を攻撃したいわけじゃない。
ただ問題提起がしたい。
できるだけ抑えてフラットに意識してかきたいと思っているけど、内容のために強い口調になりそうで...
攻撃的に感じたら、そうとってもらえるとありがたいです。

反対の意見を、お互いの存在は認めながら出し合うのは難しいことかもしれないけれど。
批判したければしてください、でも理由もできたら教えてくださいって願って文章をかきます。


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死んでしまってから、色々な人が木村さんの気持ちを推測し、悼む。
ある人は後悔し、ある人はかわいそうだと言い、ある人は番組や誹謗中傷者を責め、ある人は死は逃げだ心が弱かったと言う。

でも、死んだ人はもう話せない。
同意もできないし、反論もできない。
彼女が死ぬときどういう気持ちで、何がどれだけ苦しくて死しか選べなかったのかは彼女にしかわからないし、大勢が推測したところで永遠に本当のことがわかることはない。
それが死ぬっていうことだと思う。

沢山の人が誰の責任で彼女がこのような事になってしまったのか探し、責める。
確かに番組や誹謗中傷した人たちが悪かったところはあるのだと思う。
今後日本社会の問題として考えていくべきことだとも思う。
でもそうやって激しく責めるだけでは、責める対象が誹謗中傷の対象が、木村さんからその人たちに変わっただけなのではないか。

木村さんの近くにいた方は、責めないといられないつらさの中にあると思うし、どうしてもそうなってしまって仕方ないと思う。
でも、言ってしまえば直接の当事者ではない私たちだからこそ、責めるだけ責めて騒ぐのではなく、落ち着いて考えるべきじゃないのかと。
これは祭りじゃない。

騒いで少ししたら忘れるのは、口では言っているものの本当に悼むつもりがあるのかと疑問に感じてしまう。
より良くする方法を考えて、忘れないことが彼女を悼むことになるのではないかと。
それができないなら、生きていた人が亡くなったんだから静かにしていてほしい。


何が原因だったかは関係なく、でも木村さんはすごく苦しくてすごく疲れて自分で死んでしまったんだと思うから、私は穏やかに眠らせてあげたい。
木村さんがどう思って死んだかは、私にも誰にもわからない。
もしかしたら自分が死ぬことで世間がざわつき、相手が責めを受け、かわいそうだといたわってくれることを望んでいたのかもしれない。

でも彼女の気持ちがわからないのに、木村さんを責めるのは、聞いていると心がつらい。
死は逃げ、心が弱いから。
苦しくて、どうせ死ぬなら周りの憎い人を殺してまわってから死んでもよかったのに、自分だけ傷つけて死んでしまった彼女をいたわることはあれど、お願いだからこれ以上責めないでほしい。


誹謗中傷って人間にとって、ある種の娯楽なのかもしれないと思う。
でも責められている側も同じ生き物だから、当たり前に傷つくし、深い傷は目に見えなくてもずっと消えなかったりする。
責めた側は少しの間の快楽で、大したことだと思ってなくて、すぐ忘れてしまうかもしれないけど。

幸い私たちがいる日本は世界的にみれば比較的恵まれた国で、命が明日なくなっている可能性は低めだし娯楽が溢れている。
楽しいことしてれば、満たされていれば、誹謗中傷したい気持ちにもならないと思う。

やりたいことやろう!
楽しいことして満たされよう!
月並みな言葉なんだけど、つらくて苦しくて余裕がないとそうしたくなくても、わらをも掴む感じでナイフを振り回してしまうから。
それに誰でも楽しいほうがいいよね。

私もえらそうに言えない、今も余裕なくしがちでよく足掻いてる。
迷惑や心配をかけることもある、ごめんなさい。
でもそんなの不可能できない無理、人目怖い、迷惑かけるし不安、どうしたらいいかわかんない、もうだめだ...って思っても、いつでも死ねるし明日もしかしたら死ぬかもな...って思うと、怖いけど、やけくそみたいになるようになれや!って、生きづらいけどもう少しだけ正直に息がしやすく楽しくなるように足掻いてみようって、思えたり思えなかったり。
思えない時はひたすらしんどいけど、いつでも死ねる...ってねばっていると、ある日思える時がきたりする。
死と生は表裏一体だよなあって感じる。

でも自分がつらいからって、他の人をギタギタに傷つけまくる人は私は許せない。
そうして何も悪くない他に当たれない優しい人が死んでしまったりするから。
そういう人が多いといわれる日本。
そういう人が少しずつでも減っていくことを、できることを探しながら祈っている。


死んでしまった彼女たちのために何ができるだろう。
他人事ではない、彼女たちに非があった訳でもないと思う。
明日、いや何年後かにでも、自分や自分の大切な人がそんな状況になっているかもしれない。
せめて大切な人だけでも守りたいけど、守れるかもわからない。

考えるけれどわからない、難しい。
というより、私1人ではわからないし、難しいと思った。

拙い文章だけれど、もし読んで何かを考えてくれたなら、とても嬉しいです。
私も引き続き考えるけれど、こうやって今表面に問題がでてきているから、みんなにも考えてみてほしい。





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