行く先に、青
久しぶりに地元の喫茶店に来た。
ここは私が小さい頃からある店で、田舎のくせに店内のインテリアがまるでロンドンめいて洒落ている。
特段、出されるものが美味しいとも思わないけれど、なぜかずっと続いてるんだよね。
これはすごいことだと思う。
向こう側のテーブルに20歳そこそこの女の子3名がきゃっきゃっしている。聞かずとも入ってくる黄色い声から察するに、高校を卒業してから初めての夏のようだ。
半年近くぶりに友達と会えてはしゃいでいるのだろう。
まぶしい…。
私が以前に来たのは20年近く前かなあ。
中高の同級生が亡くなってしまい、心がとても疲れてしまった夏の終わりに、ふらっとここへ入った。
そこで、彼が生きていた証が間接的にあり、なんというか、「彼は死んでも思い出は生き続けるってこういうことかな」ということを経験した。
私の人生で初めてこの店を訪れたのは高3だったかな。
進学先が決まり始めた時期で、受験が落ち着いた頃に友達と何度か訪れた気がする。
当時、私達はコーヒーが飲めないからコーヒーフロートを頼んだ。冬なのに(笑)。
そして、マルゲリータのピザを2枚も平らげた。
17歳女子3人の食欲は凄まじい。
卒業を目の前に控えた私達はそれぞれが未来に希望しか抱かなかった。
その後に訪れる現実的な未来なんて想像だにしなかった。
まさか20代で同級生の死に何度かあうことや、高校の教師が犯罪で捕まってしまうこと、彼氏と2年後に別れること、3年後に目の前にいる友達が未婚のシングルマザーになることなど、まったく考えもしなかった。
私達は17歳の日々がそのまま続くといつも信じて疑わなかった。
あれから長い月日が重なった。
命があることが当たり前とは思えない年齢にうっすら差し掛かった。
音信不通になった友が、とにかく健康に暮らしてくれていれば良い、と思うくらいには私達は大人になった。
未来はキラキラ輝くばかりでもないことも知る。
とちらかといえば、酷暑を極めたり、厳寒だったりするのが人生だ。
過ごしやすい季節なんてあまりない。
それでも、生きていかなきゃならない過酷さが時に自分を押しつぶそうとする。
生きるのははっきり言って苦しい。
苦しみの連続だと思う。
だから仏陀は修行したのかしら。
だからこそ、若者には人生は楽しいよ!!と伝えたい。
大人の本音なんかどうでもいい。
はじけるような若さと瑞々しい笑顔が、そのうち翳っていくことはわかってるから。
今を存分に生きろ。
楽しみ尽くせ。
そして生きろ。
齢70歳をとうに過ぎるマスターに「可愛い!」と不躾に言えてしまう、彼女達の若さが羨ましい(笑)。
これから彼女達が歩く道にもそれぞれの山や谷があるだろう。
それを越えるたびに希望は失われていく。夢は見なくなっていく。
だからこそ強くなれるし、誰かを守れる大人になれる。
夢は見なくなった代わりに、大人は誰かを守れるようになる。
それも案外悪くはない。
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