あなたがあなたらしく生きられますように

園子と会わなくなって15.6年は経つんだなあって月日の流れの早さに驚いたりする。
彼女がSNSに投稿する内容を見るたびに、「私と感性が似てるよなあ」ってつくづく感じる。特にこんな雨の夜更けはね。

会おうと思えば会える彼女と会わないのは最後の別れ方が微妙だったから。禍根というほどではもうないだろうけど、多少のしこりはあるかもね。

きっかけは男だった。
よくあるパターンで、簡単に言うと1人の男を巡って…ってやつ(笑)。
園子が長らく片想いしていた男性から私が告白されて断ったという話をおもしろおかしく話したら、すごい粘着なメールがどんどん来て。
私としては「断ったんだから良いじゃん。おもしろおかしく話しちゃってごめんよ!」っていう軽いノリだったから、なんで園子があそこまでしつこかったのかわからなかった。
ま、今なら理解できなくもないけれど。


要は嫉妬なんだよね。


「でも、園子だって彼だけを思い続けてきたわけじゃないじゃん。彼氏がいたりセフレもいたりしたじゃない」なんていう正論を言ったのがまずかったのか、園子のしつこさは日に日に熱を帯びた。

当初は、朝から夜まで続くメールに私もきちんと対応していたけれど、ある日、終わりのないやり取りが馬鹿馬鹿しくなって連絡を返すことをやめた。
しばらくは彼女から非難めいた内容や愚痴や泣き言が続いたけれど全て無視。
最後に覚えているのは、出勤途中の朝に花の写真と共に「お誕生日おめでとう」のメッセージが来たこと。
私はそれを最寄り駅の改札を通りながら眺め、「こんな関係でもわざわざおめでとうって言うんだ」と園子のマメさに感心した記憶がある。

SNSを見る限り、彼女はまだ独身でキャリア形成に一生懸命な様子。
賢いけれど社会にうまく適応しきれない天才型の園子が、日々、都会に揉まれて七転八倒している姿が目に浮かぶ。そして、心の中でいつも彼女を応援している。

私の周りは高学歴で育ちが良く、でも親子の関係をこじらせた女性が多かったんだけど、彼女はそのなかでもずば抜けていた。
自分の長所と短所を見極める力はあるのに、なぜか結局、短所にしか目がいかない彼女は独身時代から「結婚できないだろうなあ」と思ってた。もっと言うと、


男が最後に選びたいタイプの女性じゃなかった。


妙に賢く、だけど男女関係構築は下手で、信じられないぐらい尽くすのに相手が本当に求めていることを見出だせないタイプ。

園子と会わなくなってしばらくして、私は結婚し子どもを産んだ。
バリバリ働く彼女とはかけ離れた生活をしているけれど、園子がたまに投稿するSNSを見ると不思議と共感するんだよね。
共感というか、私も結婚しなければ彼女と似たような生活を送っていたかもな、という感じ。

独身時代、私は自分のキャリアを作ることに邁進していた。紆余曲折しまくった職歴をどうにか建て直そうと必死だった。
男に頼ったり、恋に溺れたりする余裕なんてなかった。
国家資格に挑戦したり、より良い転職先を探してみたり、それが無理なら婚活アプリに登録して結婚相手を探したり(結局、職場結婚したけれど(笑))。
周りから見たら滑稽だったかもしれない。でも私は必死に自分の人生を生きていた。
正直、今みたいな心も財布も時間も余裕のある暮らしができるとはあの当時はまったく想像もできなかった。

妙齢になり、婚活に勤しむ友人が増えていく中で私と園子だけはそうでもなく、常に10年後の自分が自身の足でしっかり大都会に根をはって暮らしている姿を現実にするべく邁進していた。
そうこうするうちに、友人が一人二人と結婚していき、私もラッキーが重なり夫と出会った。

園子だけが取り残された。

それは時代から取り残された、という感覚に近いかもしれない。

美味しかったイタリアン、楽しかったワイナリー旅行、美しい近所の公園から見える夕日、季節の花などを投稿する園子の胸の内を勝手に推察すると、なんていうか、胸が少し締め付けられる。
それは独り身である彼女に同情をしているとか、結婚をして家庭を築いた優越感とかそういうものじゃない。いや、そういうものもあるかもしれない。いろんな気持ちがないまぜになった微かな胸の痛み。
いつも思うのは、「私も園子だったかもしれないよな」ってこと。

7cmのハイヒールを履き、お気に入りのスーツを身に纏う。
柔かく香る香水をスカートにくぐらせ、髪の毛先は緩めにカール。
若見えさせたいけど若作りとは違う年相応より少し若く見えるようなメイクには余念がなく、持ち物や身のこなしは1歩外に出れば完璧でなければならない。
「本当はそんなに良いマンションに住んでないし、お金もそこまでないけどな。でも今度の飲み会では多めに出さなきゃ後輩から陰で何言われるかわからないよな」と思いながら、1日のエネルギーの半分を持っていかれる朝の超絶怒涛のスーパーラッシュに揉まれながらそんなことを考えたりする。
Bluetoothから流れる音楽で戦闘意識を高め、無理やり気合いを入れながら今日1日のスケジュールを咀嚼する。
ある程度の年齢になると、それ相応のことを会社や社会や後輩や上司やクライアントから求められる。「そんなに頑張れないよ、余裕なんていろいろないよ」と言えない苦しさを噛み締めて1週間が始まる。
週半ばになると既に疲れていて、金曜の夜なんかやっとの思いで週末を迎える。
立ち上がる湯気をバスタブに浸かりながら眺めると、自分の未来も湯気のようにふらついて、そのうち雲散霧消になってしまうんじゃないかという恐怖がわきあがる。
彼氏もいない、バリキャリを演じても本当はそこまでのお金なんて貰ってない。だけど親に泣き言は言えない。親にとって都会で一人で暮らす娘は自慢の種だからだ。期待を裏切れない。
友達はどんどん結婚していくし、旦那や子どもがいる彼女達に私の不安がわかるはずない。話したくもない。やっぱりカッコつけていたいから。

土日は気の合う友達とランチをしたりお酒を飲む。少し高めのお店に金額を気にすることなく入れるのは独身のメリットかも、と思って少しの間、心の澱をワインで流す。
だけど1人で歩く帰り道は寂しい。
「みんなは今何してるんだろうな?」「もし、あの時結婚していればもう子どもがいたかな」なんてこれまでに何百回も思ってきた「たられば」を繰り返しながら玄関を開ける。
日曜の夜、新たな1週間が始まる前のなんとも言えない時間が一番苦しい。
その繰り返し。ずっとずっとそれを死ぬまで繰り返していく。
私はそんな毎日を結婚するまで繰り返してきた。
園子は今もそうなんだろう。

彼女はふとした光の揺らぎに美しさを感じるような繊細な感性を持っていた。それを清らかな日本語で表すことができる知性もあった。
うまく社会に溶け込めず、でもなんとか一生懸命に必死に人生を生きている。


園子はかつての私だ。



今夜みたいな静かな雨の日の夜は彼女のことを思い出す。
一緒によく飲みに行ったバーや雨の新宿、朝まで踊り明かしたクラブや赤坂にあるうまいもつ煮込みを出す居酒屋。
楽しかったな。私の泥くさい青春に彼女は必ずいたし、きっと逆もそうだろう。

どうか幸せでいてほしい。
あなたがあなたらしく生きられますように。

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