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やばいことに気づいた気がする話

ものすごく悲観的かつ、批判的に、人生について考えていた。すると、世の中から貨幣という概念がなくならなければ、万人が本質的にやりたいことを見つけることは出来ないという真理に辿り着いた。この世の中心は「心」ではなく「金」だから。金がないと満たせない心が多すぎて、いつしか世界の主役が金になった。世界中の心が金に支配され尽くしてしまった。

こんな世界の現状にも、こんな世界に生きる自分にも、全てに嫌気がさした。全てのしがらみから逃げ出し、全てを断ち切り野生に帰ろう。適当な洞窟でも見つけ、野草と野生生物を食してたら生きていけるだろう。遥か昔、先祖である縄文人が出来ていた暮らしを自分が出来ない道理はない。原点回帰に救いを求めよう。

そう思っていた。

そんな時、友人のリョウイチが言った。

「いっかい北朝鮮だけは行っときたくね?」と。

私は答えた。 

「バカおまえ!帰ってこられへんくなるやろ、原点回帰どころか、一生搾取され続けるだけの奴隷労働で人生が終わるぞ」と。

その瞬間、私の脳内には電撃が走った。とんでもないことに気がついた気がした。

穿った見方をすれば、資本主義社会というのは、資本の搾取の応酬である。企業の利潤から賃金が支払われる社会である以上、企業は顧客から資本を搾取している。そして従業員は賃金という形で分配された資本を、また他の誰かに搾取される。この繰り返しが資本主義社会であり現代社会であるわけだ。この搾取合戦を繰り返していくうちに、富める者はますます富み、持たざる者はさらに失う訳である。貧富の差はますます広がり、富める者による貧しき者に対する搾取は大きくなる。ウイグル人が強制的に奴隷労働させられたおかげで、手頃な価格でユ○クロのシャツが買える。ウイグル人を強制的に奴隷労働させられたおかげで、手頃な価格でシャツを売っても、ユニ○ロは儲かる。

おいおい、ちょっと待てよと。

搾取の応酬によって生じる弱肉強食な富の集中が資本主義の行き着く先である。日本、アメリカ、先進国各国も今はまだ競争の最中であり、貧富差の拡大過程であり、富の集中過程である訳だが、その富の集中が完了した社会はどうなっているのだろうか。
圧倒的な権力、経済力主体にその他大勢の人間が支配、奴隷労働を強いられ、最低限以外を搾取される。そんな社会が待っているのではないだろうか。

えっ、、、、。

いやえぇっ、、、、?

流石に嘘やん、、、?

資本主義の行き着く先、最終形態、、、

これ完全に

北朝鮮ですやん、、、、、、

キム一族と側近以外だいたい奴隷労働、地獄みたいな独裁制の共産主義やと思ってたけど、資本主義のゴール地点やん、、、、?

私は経済学部卒であるが、学位以外のものは大学に忘れてきてしまったため、経済学についてあまり分からない。だから多分違うんだろうなとは思っていても、資本主義の最終地点、すなわち富の集中が完了した社会には、地獄のような独裁制の共産主義国家が広がっているんじゃないかと疑ってしまうのだ。ということで真面目に経済学を学んだ誰か、世の中の正しい仕組みを教えてください。よろしくお願いします。

あとがき

これ書き始めた時、金なさ過ぎて何も出来んかったんよな。おもんねぇなぁって。金ないとマジで始まらんなぁって思ってたんやけど、金ないと始まらんのもそれはそれでおかしいなって思い始めたんよな。金なくても始まれよと。そんな時に、前の会社の同僚やったSくんの言葉が頭によぎったんよ。「俺たちの先祖ってほぼ裸みたいな格好で木の棒に削った石くくりつけて、自分の何十倍もデカいナウマンゾウしばいて食ってたのに、俺たちってその子孫とは思われへんくらいひ弱になってるよな」って言葉。窮屈な現代社会から逃れるには貨幣経済からの脱却が必要なんじゃないかと思ってた屋先、リョウイチから「北朝鮮行こうぜ」のひとこと。自然に北朝鮮人に思いを馳せる訳やけど、多分あいつら大体金ないんよな。餓死する奴おるって噂も聞くし。俺も北朝鮮人と変わらんなぁと一瞬思ったんやけど、明らかに北朝鮮には行きたくなかった。その理由が圧倒的な自由のなさ。北朝鮮人は金も自由もないの、えぐいなぁとか思った瞬間には、ピンときたんよな。キム一族だけ覇者であとは敗北者の社会って、これ資本主義でも訪れるんじゃね?って。まぁどっかで調整は入ってそんなことにはならなさそうな気がするんやけどな。

とりあえず金ないから資本主義も共産主義も否定しといたろ、腹立つし。起きたら10億くらい持ってないかな。そしたら意見は死ぬほど変わります。おやすみ世界。

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