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エッセイのこと

さっき東浩紀さんのエッセイ「ゆるく考える」を読み終わった。

内容についは後々書くだろうから、それ以前にエッセイそのものについて少し書いてみたいと思う。

ぼくらはインターネットやテレビでたくさんの著名人や芸能人を目にする。変な話だが彼らにはそれぞれ「役割」とか「肩書き」みたいなものがあって、ぼくたちは彼らを「そういうもの」として見ることになる。

エッセイとはそんなフィルターを無理やり引き剥がしてくれるようなものだと、あらためて感じる機会になった。

テレビやネットに映る彼らはあくまでも彼らのほんの一面だとぼくらはついつい忘れてしまいがちだ。しかしこれは仕方がないことでもある。画面に映る全てのひとのバックグラウンドを想像するだなんてことはぼくらの情報処理能力をはるかに超えている。

だがそれを忘れてしまうとぼくらは彼らを「記号」としてしかみなくなる。それはとても怖いことだ。

これは何も有名人だけじゃなくて普段の生活にも言えることだ。今目の前で話している相手には、知らないことがあって伝わりきらないことがあるということを忘れてはいけないと思う。

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