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普通の日々を届けたい

「人は病に勝てるのか?」そんなことが、2週間前からずっと頭をぐるぐる巡っている。

父が入院した日から一週間後、担当医師から電話口で告げられたのは「最悪の場合を覚悟してください」という内容だった。

私は突然の知らせに驚くとともに、4月から始める予定だったライターの仕事をストップして出来るだけ父を応援し、家族を優先することにした。とはいっても、今はコロナで面会が一週間に2度。

「今、父にしてあげられることは何だろう?」

一番はじめに思いついたのが、殺風景な病室を飾る色鮮やかな子供達の絵だ。5歳になる長女に「おじいちゃんを励ます絵を描いて」とお願いした。母が父と面会する時に、子供達が描いてくれた絵を渡すと父は喜んでくれて、担当の医師も「いいですね」と言ってくれたそうだ。壁に貼ってくれて、殺風景な病室が少し明るくなった。

そして、私は自分がもしあの病室にいたらどういう気持ちか?を想像した。点滴に24時間つながれた腕、呼吸器を外せない父は、視力も落ちかなり痩せてしまった。病室に窓があるかは知らないが、満開の桜を見ることすらできない。

コロナで家族ですら面会を制限されていて、会うことすらできない。あまり長く話すと呼吸も苦しくなってしまう。そこで、私は考えた。

「そうだ!毎日、景色や家族の写真、動画を送って励まそう!」

景色、家族の写真や動画はきっといい刺激になるはずだ。

父が一番ポジティブで私と母が病室を出る時に「頑張るぞー!」と、右腕を大きく天井に掲げていたのが印象的で、家族である私は父親を全力で応援したいと思った。

今思うと、国際結婚をした私はその当時、ずいぶん父親に心配をかけてしまった。子供が生まれてから父親との距離が縮み、Uターンしてからはいつでも父親と会える環境になった。県外にいたら、会えるかどうかも分からなかっと思うと、あの時Uターンを決意してよかったとつくづく思うのだ。

今まで元気で、退職後も個人事業主として車関係の仕事を続けていた父。父の知り合い、友人から「どうした?」という電話や家に訪ねてくる人もいた。多くの人に慕われていたのだと思う。

昨日、姉が父に会いに行くと少し苦しかったようで、姉に遺言のようなことを言ったそうだ。突然、自分がこんな状況になってしまい、どれだけ辛いか。まだまだやりたい事があったはずだ。回復が難しい病だけに、現状を維持しどれだけ延命できるか......

とにかく、一日でも長く生きてほしいし、今の医療でも治癒できない病でも奇跡みたいなことが起こると信じたい。

「殺風景な病室の日々に、少しでも刺激を」

私は今、父を応援することしかできないから、とにかく毎日、写真や動画で普通の日々を届けようと思う。

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