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ばあちゃんと過ごす4日間

術後4日目を迎えました。日帰り手術の夕方から、この4日間は寝室というか「休憩所」で祖母と過ごしています。

昔、母方の祖父母が銭湯を営んでいて、20人ぐらい人が休めたり、レーザーディスクのカラオケを使って歌を歌ったりしていた休憩所。祖父母が生活をしていた場所であり、いまも日中は祖母が暮らす場所であり、夜になれば僕らも川の字になって寝る場所です。

熊本に帰ってきてからは、寝るとき以外は別の部屋で僕は作業をします。

そのため、祖母とは朝ご飯のときにキッチンでテレビのことで言葉を交わしたら「薬、飲んだね?」と確認し合うぐらいで、夜まで会話をすることもほとんど無かったんですね。

術後の話に戻ります。
はじめの2日間は、ほとんどぐったりと寝ていたのですが、この2日間は祖母と話すことも増えてきていて。

孫である僕は、幼少の頃のお遊戯会の練習中に倒れてから中卒まで自律神経失調症だったり、17歳頃から群発頭痛を患って、30歳になる頃にこの副鼻腔炎で目を腫らして倒れてしまったこと、一昨年34歳で尿路結石で入院した背景があります。

祖母から「あんたは頭のつぎは鼻で、大変たいなぁ。頭痛はどんくらいきとらんと?」

……と、標準語に戻しながら書きますね。

頭痛で悩まされていたのに、蓄膿症の手術になって大変だね、そういえば持病の頭痛は前の発作からどのぐらい期間が空いてるの?って質問です。

「いまは1年以上来てないよ!」と答える。
僕の群発頭痛は半年〜1年半周期できているから、我ながら"おりこうさん"だと思っているところ。

そのあと、6年前に目を腫らしたときの写真を見せたり(ばあちゃんは写真がケータイの中に収まっていつでも見られることに感動していたけれど)、尿路結石の手術はこうやって受けたんだよって話をしたり……

そうこう話していると「私もよく考えたらいろんな病気をしてきたなぁ」と祖母の身体のことについて話を聞くことができました。

・胆石で入院をしたこと
・白内障で両眼(時期はずれているが)を手術したこと
・脳梗塞で入院をしたこと
・半身不随になりかけたこと

ほんの20分ぐらいの話だったと思うけれど、たくさん話を聞けました。

そのどれもが、誰かから「○○さん、今日は様子がおかしいから病院に連れて行く!」と、知人や家族の働きかけで遅くなり過ぎずに済んでいるんだと、それぞれのエピソードを話してくれました。

「84歳、いろいろ病気はしてきたばい」と言われ、
「そっかぁ、おれはまだまだねぇ」なんて答え。

僕はテレビをつけない人なのですが、ばあちゃんは一日中テレビを観る人で(ちなみに僕以外は全員テレビの人)。

昼にはバイキング、その後ドラマの再放送(佐藤健と渡部篤郎が出てる刑事もの。アレおもろい)、水戸黄門、ニュースと続く頃に母が帰ってきて、みんなにおかえりを言いに僕はキッチンへ行きます。

明日からは部屋を行ったり来たりして過ごすと思うけれど、ボーッと過ごす孫の一面は届いたかしらと思っているところ。いつも「孫の仕事の邪魔しないように」と配慮を欠かさないばあちゃんだからこそ、いつもどおり過ごして欲しかったのでした。

手術から4日。今朝は額の内側の痛みで起き上がれず、「眉間が火事やんか。。」とか思いつつ、少し遅い朝を迎えました。

昨日こんなことをつぶやいていましたが、ヒューどころか、スピースピーに戻ってしまい昼間は鼻呼吸ができないほどに。。

つぎの火曜が、もう半分の詰め物取りの通院予定ですが、その前に週末に掃除をしてもらいに行ってこようかと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

noteを書きながら、時折雨が押し寄せてきて屋根に打ちつける感じが怖いな。朝にかけて熊本もかなり降るようです。何も起こりませんように。

それでは、おやすみなさい。
と、一日がんばりましょ。

写真は去年撮った「カラー」
休憩所のトイレに造花が置いてあるから。
花のきれいさを話すときは祖母と話が合う。

ここまで読んでくださりありがとうございます! サポートしてくださった分は、ひとりの再スタート準備に。