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備えるといえば

前回から引き続き、備えると言えば、災害キットを常備してすぐ逃げられるようにするだけが備えではない。と書いた。

私の場合ずっと本を読み続けてきた方なので、そろそろ読むだけでは飽きてきた。それに

お気に入りの作家さんはたくさんいるけれどお気に入りを見つけてしまうと一気読みするので読み終えると次回作が出るまでの間楽しみと興奮が途絶えてしまい腑抜けになってしまい待ちきれないのだ。であれば待っている間にもう自分で書いてしまおう、と思った。
映画や音楽も好きでお気に入りは一気に観たり聴いたりするが、自分では作れそうもない。音楽なら頑張って作れなくもないが何かしら機材が必要だったりこだわってくると音質が気になるからやはり機材とお金がいる。映像の方は見るだけで充分だ。その点、書く方は特に何もいらない。パソコンやスマホがあればいつでもどこでも書いてお披露目できるし個人の記事まで読めてしまう時代になった。ペンと紙で書くには時間がかかりすぎる。書いているうちにまとまりがない文章になってしまうし時間がかかるという事は途中で飽きてしまうという点がデメリットだ。
子供の頃、作文が一番嫌いだった。まず、あの型にはまった原稿用紙が嫌いだ。いかに埋めるか考えるだけでも頭が痛かった。純真無垢な子供は自分の考えをまとめて文章に書ける程経験がない。年を取るにつれて色々な人間と接し情報が入ることで徐々に自分の考えが作られていく。生まれて10年も経っていない子供に大人が書いた本に対する感想文を書け、なんて課題は無茶だ。「大人vs子供」なんて無茶な教育なのだろう、と嫌悪感を抱きながら国語の授業を受けていたあの頃、今ではいくらでもいつでも素早いタッチで文章を書く事ができるので何も問題ないよ。と数十年前の私にそっと囁いてあげたい。
長くなってしまったが、お気に入りの作家さんの新作を待つ間、自分も書いてみる事で書くという事について経験でき語彙の勉強もできるし、案外自分で過去に書いたことを読んでみると面白いなと思ったことがあったので、そんな小さな事でも摘み取って楽しみを作っておくことで「自分を持続させる」という備えをしておこうと思った。書くきっかけもできたわけである。きっかけがないとなかなか行動に移そうと至らない。考えだけに留まってしまう。ふとしたきっかけを覚えておくことも備えになるのだなあ。

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