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落ち込む日もある

仕事をする上で、その時その瞬間はベストを尽くしてきたとは思っている。
でもその後の反省や指導助言、知識のアップデートで後悔することもある。
特に後悔を引きずりやすいのは、救急処置の判断と相談対応だ。どちらも丁寧な看取りと迅速な判断が必要になるので、あとからいくらでも「もっとこうすればよかった」「こうしなきゃよかった」が湧いてくる。

救急処置については、不安なときは周りの職員と保護者に伝え、受診を勧めることでできるだけ後悔をしないようにしている。
様子見か受診か。受診の指示1つとっても、救急車か、今すぐ迎えなのか、放課後でいいのか、症状が消えなかったらでいいのか。
全て1人で判断して手当てをするのだ。
自信がない素振りは不安を与えるだけなので見せないが、私はこの不安や心配は常に持っていたいと思っている。怖いくらいでいい。

相談対応は救急処置と比べて緊急性は低くなるが、いつも自分の人間性が試されていると感じる。
聴く力、人としての器、多面的な視野、指導力、誰かに繋げる力。
私が一度放った言葉は回収できない。
誤解させたり辛い思いをさせたこともある。コミニケーションの難しさに直面する。


私の対応は良かったのだろうか。

正しかったのだろうか。

その子の力になれたのだろうか。

時々そんな思考のドツボにハマる。


そんなとき、いつも助けてくれるのは今までに出逢ってきた子どもたちだ。

翌日体調が復活して「治ったよ」と教えてくれる子。
ケガをした子どもに私がかけた言葉をずっと覚えてくれていて、異動の時に感謝の手紙をくれた子。
叱った翌日、普段と変わらず顔を見せてくれる子。
異動しても私のことを覚えてくれて連絡をくれる子。
先生みたいな保健室の先生になりたい、と夢を語ってくれた子。
卒業しても私を覚えて声をかけてくれた子。
保健室に全く縁がなく、運動場で毎日遊び回る子も見ているだけで元気になる。

他者評価でいるから自分の軸がブレやすいことは百も承知なのだが。

私は子どもたちの存在に救われている。
子どもたちが卒業した後、または私が異動した後も思い出す。
今どうしてるかな?
いろいろ経験しながらも楽しく生活しているだろうな。と勝手に想像して幸せになっている。
思い出すのは子どもたちの笑顔ばかりだ。
保健室は役割上、たくさん「ありがとう」の声をもらうが、私の方が助けられていると思っている。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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