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あのころの私へ、乾杯

もし、今の私を探偵が行動調査していたとしたら、たぶんめちゃくちゃラクだと思う。とくに平日は。

朝5時過ぎにリビングのあかりが点いて、6時40分頃に下の子を連れて家を出る。7時に保育園に送り届けて出勤。17時きっかりに退社して職場のビルを出る。

たまに午後半休のときもあるが、それだって12時半退社なのでその時間だけチェックしておけばなんてことはない。

17時すぎの電車に乗って最寄り駅についたら、保育園と学童のお迎えに寄りつつ家に着く。21時すぎにリビングの電気が消える。

まあ、今のところ探偵に追われるような案件はないと信じているが、私の平日はこれの繰り返しである。

でも、これを知っている人は意外と少ない。

勤めて長い職場なので、口調や顔色ひとつで体調を見抜かれてしまうほどの関係性があるし、同年代の子育て世代が多いのでよく愚痴を聞いてもらったり、いろいろ相談したりするけれど、それでも職場の人は主に仕事をしている私を見ている。

一方、家ではそこまで仕事の話をしていないこともあって、あたりまえなんだけれど、夫や子供は家にいる私を見ている。

まだ数年とはいえ働く母をやってみて最近思っているのは、それぞれ単体のタスクよりも、全体を調整してマネージメントする作業のほうが何倍も大変である、ということだ。

今日は仕事で疲れたから夕ごはんは簡単にしよう、みたいなかわいい調整はまだ良いとして、家族の体調不良のときにカバーする手立てを考えたり、家族の人生において今これが大事だな、と思ったらそこに重心を少しうつしたりする作業は、けっこう労力がいる。

夏休みがおわってから、長男は未だに分散登校が続いている。

通常授業と、就労などで家に親が不在の子供のための別教室での預かり、を一日おきに繰り返しているのだが、そのイレギュラーな生活は2年生では全体像がつかみにくいようだ。

毎日の課題がうまくこなせず、内容自体にもつまずきが出てきたので、こりゃマズイ、と分散登校2週目に入ったときにテコ入れをした。

仕事を調整して、家庭学習の日は午後半休をとって家で課題のフォローができる体制を整え、つまづいているところを見直して負担にならない程度にドリルを追加したり、メンタルフォローのためのご褒美を考えたり、それらを夫と情報共有したり、けっこう忙しかった。 

こんな感じで、日々のタスクやスケジュールは変わらなくても、その中身のバランスはそのときによってすこしずつ変わっていく。

困るのは、それが正しいのかどうかその時点では全然わからない、というところだ。

たとえば長男の課題のフォローにしたって、私か夫が仕事をもっとセーブしてがっちり見る、とか塾を検討する、もっと勉強時間を増やす、とかそこにはいくつもの選択肢がある。

その中から、ほかの家族への影響とか、自分の仕事へのスタンスとか、長男の心身の状態とか、そういういろいろを鑑みて、おそるおそる今はこれでいこうかな、というものを選ぶ。

選んだものが夫と違うときも当然あるし、そのときはそこでまた一悶着ある。それをなんとかすり合わせる作業も、なかなかに骨が折れる。

長男を産んで仕事に復帰したころ、何もかもが中途半端になっている気がした。

仕事も家事も育児もすべて誰かに頼りまくりで、その結果成り立っている生活がなんだか情けなくなったり、好きに残業できる夫や手作りのおやつを作れるママたちが羨ましくなったりした。

それが今は、むしろこんなにいろいろやっている自分ってひょっとしてすごいんじゃない?くらいには思うようになった。単体のタスクの達成度ではなく、マネージメントの達成度で自分を見るようになったんだと思う。

達成度とはいったものの、そこに達成感があることは、実はほとんどない。いつもこれでいいのかなあ、と頭の片隅で思っている。

けれども、自分が大事にしたいところもわかってきて、人に頼ることを不必要に恐れなくなった今の生活は、数年前にくらべて格段に気楽だ。

あのころの私に、あなたのやっていることはあなたが思っているよりずっと大変だし価値のあることですよ、と言ってあげたい。もしどこかで同じようになんだかもやもやする毎日を送っている方がいたとしたら、その方にも。

仕事のあるなしに関わらず、家族を元気に平和に日々を暮らせるようにするには、細かい調整の連続だと思う。

そういう目には見えにくい努力を、日々コツコツと重ねている毎日を、私はちいさく誇りに思っているので、今思ったけど今日は気持ちよくビールを飲もうと思う。

今週末は、台風だそうだ。

充分に気をつけて、楽しい週末をお過ごしください。心の中で、勝手に乾杯させていただきます。















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