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傘をさすと曇ってくる

ただの学生の日記です。
暇な人と変な人と
雨が好きな人だけ見てください。

前置き

昨日noteを始めた者にしては、
なかなかのハマりぐあいであると
自分でも感じている。
それはともかく、
プロフィールにもある通り
私は学生である。
当然学生らしく
毎日学舎に通うわけであり、
学舎から帰宅するわけだが、
今日は雨だった。

体が濡れるか、心が濡れるか

これを見ている方に一つ
質問をすると、
雨は好きであろうか?

飴玉ではなく、雨である。
(見りゃわかる)

私は雨が好きだった。
そうであって欲しい。
小学生の頃は、
雨の水は水色に見えた。
もちろん水なので
色はないのだが、
そんなイメージであった。

中学生の頃は、部活の先輩と
ディズニー映画の真似をして
傘をどれだけ優雅に開けるか
選手権で傘を壊したのも
鮮明に覚えている。

しかしいつからだろうか。
雨に濡れたくないと
思い始めたのは…

紛れもなく高校生になった頃あたり
だろう。
義務教育が終わり、
モバイル機器が手に入り、
使えるお金が増え、
自分は大人だと
信じているあの頃だ。

もちろん都会の雨は
あまり清潔とは言い難い
水質であり、
若干酸の濃度が濃いため、
あまり浴びないに
越したことはないのだが…

しかし、そのような
物理的、健康的な話ではなく
心理的な話である。

いや、メンタルというものは
特に健康とは密接であるため
むしろ関係性はあるかもしれない。

前回同様ここまでは、
恥ずかしいポエム調の
文章なので特に意味はない。
タイトルの本題に入るのは
ここからである。

優しさは、対価としての
優しさを要求する

前の記事同様、
結論を先に書くとする。

結論 雨の時、傘をさした方が
   悲しい気分になる。

冒頭部分で触れたように、
今日まさに
学舎から帰宅するときの話であった。
雨が降っているのに気づいたのは
私の友人が、
「チャリ勢おわったなwwww」
と、自分に対してだか
自転車で学舎に来ている者に
向けてだか
その言葉を発したことによる。
私は徒歩を交通手段としている者で
あり、
折り畳み傘という文明の力を
持っていたので
その友人に幸を祈りつつ
学舎の入り口まで
傘をさして歩いていたのだが、

さすが若者である。
まるで雨など降っていないかのように
気にせず自転車を乗りこなし
帰宅する者も多く見られた。

もちろん、雨で自転車の運転は
危ないなどのことを言いたいのでは
ない。

その時に、傘をさしている自分が
惨めに感じた自分の感情に
驚いた。

雨に濡れつつも
体力を振り絞って帰宅した人が
読んだならば、
激怒してもおかしくない話ではある。

しかし、私はあろうことか
傘を持っていない者たちの
元気な姿と笑顔に対しての
自分の雨に対する嫌悪丸出しの
傘のさし方を比較した時、
前者の方が羨ましいと
思ってしまった。

同調圧力とも取れるこれは
一体何だったのか
雨が止んでも
一向に心の雲が晴れることは
なかった。

ちなみに、
「優しさは、対価としての
 優しさを要求する」
というのは
伊藤計劃氏の
ハーモニーという小説の
言葉である。
面白いよー :)

もう一度言いますが、
これはただの学生の日記です。

文章に中二病くくさを感じた人と
プリンが好きな人と
少しでも面白いと
思っていただけた人は
コメントなどいただけると
Madareがカンブリア大爆発します。

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