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生活は勤め、勤めは祈り。

  人生を自我で生きたくは無かった。
  創造ではなく仕事がしたいと思った。
  生涯を仕事のように生きたいと願った。

  仕事のように生きるとは、伝統と規則に則り日々を粛々と勤めることだ。
  あちこち根付く伝統を無上の加護と見なし、その流れに沿ってみずからの生活をなぞることだ。

  季節が旬の野菜を運ぶとき、食卓にあたたかな料理が置かれ、
  晴れた空が軒下を照らすとき、干された衣類は涼やかな風を受け、
  労務に励んだ人々の頭上には、夜空が等しく輝く。


  心の痛みを芸術に昇華させてはならないと思う。
  生活から受けた傷が真に癒されうるのは、私自身が生きている生活の只中でしかありえないから。
  現実へと眼を向け直した時、癒しの道は私達の前にそっと門を開くのだ。
 
  芸術ではなく解決を。それが自身に許されたせめてもの創造。
  ペンを置き、噤んだ口を開くこと。


  私はみずからの職業に誇りを持っている。
  そこでは「綺麗な文章を書こう」などという企みは害でしかなく、オリジナリティ溢れる挿絵も無論必要ない。そうして出来上がるのは名前も知らないどこか誰かの職歴書なのだ。
  方法と規則さえ覚えれば、誰がどう携わっても同じ成果物が出来上がる。
  個人の企みや拘りの介入する余地のない労働、それに全神経を集中させる喜び、楽しみ、心の清々しさよ。
  会社が築き上げた伝統という加護の下には、私的な想像力の侵入する余地はない。その加護に沈潜し没頭するとき、余計な思惑は止み、私はもはや消え失せる。そこには如何なる私的な辛さも無い。未来への心配も漠然とした不安も無い。
  ただ「相手の望む成果物を、」とだけ考える。塵や芥のような自我は除かれ、この眼と指はただ目的のために動き、私は一縷の流れとなる。
  労働のひとときだけ、私は清くいられる。


  生涯を仕事のように引き受けたいと願った。
  労働のように粛々と生きるただそれだけが美しいと思った。
 
  宇宙のことは分からない。神様が何処におわすのか分からない。
  懐疑と自我を掃い切れなかった私は遂に信仰を持てなかった。
  祈りの境地を遂に分からなかった。
  だからこそ生活を勤めようと思った。生活を祈りにしようと願った。


  「だけれど」「どうせ」「さようなら」、生活は接続詞の継ぎはぎだ。次の言葉を期待しながら、挫けながら、新しい場所から場所へと私達は歩みを止めない。

  生活は勤め、勤行とは祈り。
  そしてようやく、生活という信仰を手に入れるのだろう。