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紅の花びら

時はいにしえ、神と人とが交じり合う。

東征の折、ヤマトタケルとその婚約者ミヤズヒメは
とある屋敷で再会を果します。
ふと見遣ると、ヒメの着物の裾には月経の血がついていました。

タケルはヒメへ歌を詠います。

天の香具山を、細き首もて、蒼空渡りゆく白鳥(しらとり)よ。
その首のように、か細きあなたの腕(かいな)を
枕にして眠りたいと思うけれども
あなたと共に夜(よ)を過ごしたいと、わたしは切に思うけれども
あなたの着ている襲(おすい)の裾には、月が経っていることだ。

『古事記』中の巻 (訳:アサギマダラ)

  真紅の花びら、はらり。
ミヤズヒメの着物の裾に、目にも鮮やかな春が来た。


    
  日本海はいつも曇りがちで、湿気がちで、日当たりが悪い。
  そう、ここが私の故郷。

  中学に入学して間もない頃、私は制服のスカートを汚した。
  灰色の生地の襞と襞のあいだから、じっとり滲んだ赤い染みが覗いている。
  私は「誰にもばれていませんように、」と祈りながらそそくさと家路に就いたのだった。
 
 

  踏み潰された銀杏の薫りが立ち籠める通学路。
  セーラー服を着たかつての私が俯きがちに歩いていく。

  同じ制服を着た女子生徒たちが、前方で話をしながら笑い合っている。

  ところで、彼女たちのリボンのかたちと、私のリボンのかたちはいつも違っていた。
  つまり、白いタイをセーラー服の襟の下に通して胸元で結ぶことでリボンのかたちを作るのだが、彼女たちのそれはちょこんと小さくて、きちっと左右対称で・・とても可愛かったのだ。

  けれども、学校指定のタイはかなり大きいサイズなのに、何故あんなに小さく結べるのか、一人ぼっちの私には分からなかった。
  だから私の結ぶリボンは、今思えばとても大きく歪だった。
  まるで飛べない蝶みたい。


  そして幾年月が過ぎた。


  今日も朝が訪れる。東向きの窓から入る光が眩しい。
  ハンガーラックに並ぶ色とりどりの洋服たちは、古着屋で入手した掘り出し物だ。

  白磁、瑠璃色、群青、緋色。
  目の醒めるような鮮やかな色をこそ好む。
  陽の光を受け、風に靡いてこそ、なお一層映える色。


  コンクリート色の過去に閉じ込められた、かつての私へ、

花びら、はらり。

 
  私が生きている限り、私の"とき"は解体されない。
  何故なら存在は時間そのものだから。私たちは皆、時間の証だから。
  山も時なり、海も時なり。

  そういう訳で、鏡に映る顔にも"あの頃"の名残はしっかりと刻まれている。 その孤独にも、彩りを。
  白磁、瑠璃色、群青、緋色。

  繊細なレースの施されたブラウスに袖を通し、ボタンを留める。
  そして祈りのように指輪を嵌める。



  日々、私は"私"を供養する。
 

 
  「お洒落な女の子」に憧れ続けたかつての"私"へ、
  スカートを染める赤の気配に怯えながら、恐る恐る廊下を歩く"私"へ、
  伸ばした髪すら上手く扱えぬまま、きつく結わえたヘアゴムの、ついに解かれなかったあの日々へ、


一輪の花、届け。


  故郷では紙工業が盛んで、独特の臭いを載せた大型トラックが容赦なく通学路を横切っていった。
  鈍色の工場、煙の蔽う空、灰色の制服、光の無い眼。
  日本海はいつも曇りがちで、湿気がちで、日当たりが悪くて。

  しかし淀んだ日々は晴れずとも、鮮やかな色彩をこそ手向け花。


一輪の花、とどけ。

 

  日々改めて服を着るのだ。花は枯れるからこそ花ゆえに。



さてミヤズヒメがヤマトタケルへ詠むには、

あなたは天の御子。国土を隈なく統治する、われらの偉大なるお方です。
年が経てば、月もまた経ちましょう。
それはいかにも、そのとおり。あなたをお待ちしているあいだにも、
わたしの着ている襲(おすい)の裾に、月が経ってしまったことですよ。

『古事記』中の巻

花びら、はらり。

  山は時なり、海は時なり、わたしは時なり。
  けれども、どうか無事に過ぎてほしいとも思う。苦い記憶が遠のき、洗い浄められてほしいとも思う。
  そしていつも、いつでも、変わりたいと願っている。

  お気に入りのブラウスに袖を通し、鏡の前に立つ。
  顔がぱっと華やぎ、心なしか頬まで染めていくよう。
  私は赤が似合うのだ。


花びら、はらり。

 

  かつてのミヤズヒメも、すっかり秋の装いへ。




・・灰色の日々を送る少女と、かつての少女たちへ。

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