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癒しの道

  私は今、泥濘を生きている。
  後ろめたい人間関係の真っ只中で生きている。
  私はずっと、癒やしの道に入れない。


  家族。
  それは現在進行形で私を捕え、呪縛し、私を責め立てるもの。

  父から逃げ、弟妹は逃げ、終には私と母だけが残った。
  そして安寧が訪れるや否や、これまでの結婚生活で受けた母の傷つきが、私を介して時々溢れだした。

  『子供も産まずに好き勝手に生きてる弟も妹もあんたも苦労知らずだ。親から貰った恩を自分の子供に注ぐのが正しい人間の姿なのにね…。』

  私は何も言い返せない。
  満身創痍の母を守り抜くという私の務めと、その使命感を搔き乱すような言葉の挟間に追いやられ、非道く混乱してしまう。そして何より、私と同じぐらい母も混乱しているのだ。

  私は、別に不幸なわけではない。ただ・・

『ただでさえ暇な主婦の仕事が無くなる』と言って、病弱の母に食洗器を決して買おうとしなかった父。何も言い返さなかった私。
  求人情報誌を捲る母の歪んだ白い指。2人分が食べていけるほどの経済力も持てない私。

  贖罪。
  罪の意識はひとを停滞させる。そして私の心を牢獄へと閉じ込める。
  まるで怒りみたいに。



  ひとはいつ「大人」になるのだろう。
  親から受ける保護と支配、矛盾した要求、怒鳴り声、侮辱、食器の割れる音。

  けれどそれ自体は構わない。
  程度こそあれ、親に傷つけられなかった子供などいないのだから。

  大事なことは、子供時代に受けた傷つき体験を昇華する道を歩みはじめるとき、遍くひとは大人になれるということだ。
  大人への道。それは全ての人の子が辿る、ゆるしへのイニシエーション。


  けれども私はずっと大人になれない。
  

  静かな食卓を囲む私と母。
  いなくなった家族の存在が、暗黙の了解みたいに母と私の脳裏を掠めていく。
  私達の知らない何処か遠くで「自立」を果たした弟と妹。彼らはとうに、自分の感性と独自のマナーと衛生観念に従い生活を送っている。
  かたや癒しの道へと入ることが出来ない、傷つきとの決別が出来ない、「私」という永遠なる母の子供。
  

  罪悪感も恨みつらみも、もうたくさんだ。

  だから私は、"今"を愛する術を探している。
  袋小路で乾杯を。窓のない壁に灯火を。暗闇に音楽を。泥濘の今に寿ぎを。

  例えば約束。それは、暗夜のような現在の向こうへと投げられた、光り輝く未来へのブイ。
  その灯りを頼みに今を泳ぐ。辿り着いたらまた投げる。光の方へ泳いでく。
  それをひたすら繰り返すのだ。

  小さくていい。仄かでいい。蠟燭の灯りのような約束をさせてください。
  指切りげんまんも特別な記念日も要らない。当たり前のように落ち合えるような、そんなささやかな場所をください。
  どうか幾つもの未来を下さい。

  

  最近になって気付いたことがある。
 
  母が私を産んだのも、きっと癒しへの道だったのだ。
  (あまり話してくれないけれど)母の幼少期はおそらく過酷だった。そして冷たい結婚生活で決定的な傷つきを得た。そんな母にとっての生殖とは、自己再生の切なる試みだったのだ。

  けれど私は母と同じ道を辿らなかった。だから母は、命懸けで歩んだ自分の道が否定された気持ちになったのかも知れない。「自分の人生は間違いだったのかも」と不安になったのかも知れない。
  世間の価値観は刻々変わっているとは言え、気付かぬうちに、私は母から受け継いだ「ひととしての約束」を反故にしていたのかも知れない。

  生殖とは、人間の繁栄とは、傷つきと癒しのサイクルそのものだ。
  けれど私はその円環から外れた。全て自分で何とかしようと思い。自分の泥水は自分で飲み干そうと思い・・。
 
 

  窓の外は驟雨。
  今年の夏もじきに終わる。
  いよいよ雨は降り川は流れる。濁流であれ絶えず時は流れる。
  日々をそっと押し流すその力、時が流れることそれ自体が癒しとして、私の中にはたらいていく。

  私には癒しの道はおそらく与えられないが、この頭上にも雨は降る。
  
  変わりゆく関係性の中で、母と連れ立って生きていくこの私。
  お母さん、いつもありがとう。これからもよろしく。

  私が生きているあいだ、この身体には絶えずあなたの血が巡るから。

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