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でなければならない病

まだおです。今日も数多くある記事の中、私の記事にたどり着いていただきありがとうございます。
昨日、東京オリンピックは開会式を迎え、本格的に始まりました。私は昨日の開会式を見ていません。Twitterやっているので、ゲーム音楽のオンパレードだったり、”会長”たちが演説張りに話が長かったという情報は入ってきましたが(笑)
今回は、そんなオリンピック開幕に合わせた連休の中、ここ数日あることをきっかけに思うことがあっての話を書きたいと思います。

でなければならない病

現代は「多様性の時代」と言われます。
私は今回のオリンピックに限らず、マスコミはじめ世間が騒ぐ物に対して、どうしても斜に構えるところがあります。これは私の「価値観」の1つです。
もちろん、「日本人なら、同じ日本人が世界を相手に頑張っているんだから応援すべきだ!」という考え方。これも「価値観」でしょう。
さらに今回は、「人命が何よりも大切だ!感染拡大している中でオリンピックとはいえ、スポーツなどやっている場合ではない」という考え方も「価値観」でしょう。

ひとりひとり考え方も違えば、価値観も違う。それは、性別、年齢、国、人種や生まれ育った環境によるところが大きいでしょう。
これらに、もともともっている性格、個性も相まって「その人らしさ」を作るのだと思っています。
そういうことを認めるということが「多様性」だと思います。

ただ、日本では多様性とは程遠い気がしてなりません。
「多様性の尊重」やビジネスでは「ダイバーシティ」という言葉、最近ではこぞってSDGsを持ち出している気がしますが、やっぱり集団行動が大好きで横並び主義的な感じがしてならないのです。
それを一部の人がそうすることでそうでない人にも影響が及ぶところが、一種の病のような気がして勝手に「でなければならない病」とつけてみました。

○○なんだから…

この言葉を聞いてピンときて、ハッとした方は、「でなければならない病」に侵されている可能性が高いでしょう。ただし、これを「言う」側なのか「言われる」側なのかで大きく異なります。
あなたは「言う」側?それとも「言われる」側?
ひょっとしたらずっと言われる側だったけど、今は言う側になっている人もいるかもしれません。

私の母は間違いなく「言う」側。それは私自身子どもの頃に言われ続けてきてますし、昨日も姪っ子に対して言っていたのを聞いたので間違いなくです。昨日の姪っ子に対してはこの言葉です。

『女の子なんだから「おまえ」なんて言葉を使っちゃいけません』

姪っ子は現在小学1年生。活発な子で口が達者です。
一昨日から我が家に泊まっていて、一昨日の夜バーベキューをした後、焼き係だった私に「たくさん焼いていただきありがとうございます。お疲れさまでした」などと言うような子です。

言葉は「文化」だと思うので、姪っ子が勝手に思いついたわけではなく、どこかでそれを聞いて真似をしているのだと思います。なので、姪っ子は私の母にすかさずこう聞き返していました。

「なんで言っちゃダメなの?」

それに対して私の母はこうです。

「なんででも!女の子なんだから!」

私はこのやりとり、経験してきていることなので「はい、お決まりの返し~」と思って聞いていたのと同時に嫌な過去が思い出されるわけです。
 ✅男の子なんだから…
 ✅長男なんだから…
 ✅お兄ちゃんなんだから…
 ✅身体が大きいのだから…

一番理不尽に思っていたのが最後の「身体が大きいのだから」です。
どう言われていたかというと…

「身体が大きいんだから風邪ひいてもしっかりしなさい!」

こう言われて熱発しては叱られていました。

でなければならない病の怖さ

この「でなければならない」
何も親子間だけではなく、学校でも、職場でも、そして社会全体でもあふれている気がします。そしてそれがいじめや偏見、差別につながる気がしてなりません。

私の場合は、自分自身もそうですが、元妻も結局この仕打ちにあって家を飛び出したのだと後になって気づきました。
元妻がそう訴えてきた時に何度か母と下の妹には言いました。
「そんなことを言わないで」と。
でもこの「でなければならない」は無限なんですよね、相手を認めていない場合は。

学校でもそうでしょう。
少し前にTwitter上でにぎわっていた「理不尽な校則」問題。
「ツーブロック禁止」のように髪型はじめ「女子の下着は白でなければならない」のような学業とは関係ないようなものが取り上げられてました。
それらに対して「なぜ?」をぶつけると「トラブルに巻き込まれるから」「学業に集中できなくなるから」という訳の分からない回答が来るんですよね。
それにも反発すると「とにかくダメなものはダメ」と最後はねじ伏せる感じになる。

職場でもいじめ・パワハラの類は、「うちの会社ではこうしなければならない」「昔からこうしてきたからこうあるべき」しかしそれが案外会社の決め事ではなく、言っている人個人の価値観だったりすることが多い。

こうやって結果的に社会全体でも「こうでなければならない」病が蔓延している気がしてなりません。
特にこの1,2年においてはそれが顕著になり、「こうでなければならない」どおしのぶつかり合いでギスギスした世の中になっている気がしてなりません。

そういう私も…

今回は「でなければならない」について書いてきましたが、そういう私も「でなければならない」に侵されている時があります。
それは、自分自身が決めたことで自分自身に対して「でなければならない」になる時。

良い方向に働けば理想の自分に近づいている気がしますが、そうでない場合はストレスが溜まり、心に余裕がなくなる。
ひょっとしたら他人に「でなければならない」と言う人は、心に余裕がなくなっているのかもしれないですね。
私はそういう人から距離を取ることにし、自分自身は心に余裕を持っていけたらなと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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