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ムダ毛が私たちに何をしたっていうんだよ

なぜヒトはあんなにもムダ毛を気にするのか。

インスタを開くたびに、脱毛の広告が出てくる。【PR】とついた脱毛に関する漫画だ。大抵は、「今日は彼氏とデート!なのに処理が甘くて…!」とかがほとんど。日本で電車に乗れば、だいたいの車両で脱毛についての広告を目にすることができる。可愛くてツルツルした女の子たちがすべすべのお肌を出して決めポーズをとっている。

だけど、何故こんなにもムダ毛を憎んでいるのかが私は未だにわからない。髪の毛とかは自由度高く遊んじゃったりするのに、ワキ毛では遊ばない。たまにデリケードゾーンの毛で遊ぶ人がいるけど、超レアケース。ていうか、「ムダ毛」って、「ムダ」ってついてるけど何を持ってして誰がムダだと決めたのか。頑張って生えてる毛がかわいそうだと思わないんですか?

海外に住んで「ムダ毛」の定義が違うと知っていても、大抵の日本人男児(例外があることは認める)はムダ毛の処理が甘い女性に対して非難轟々である。「お前さあ、ちょっとワキ、、(絶句)。そのくらいちゃんとしろよな」という感じ。じゃああなた様はムダ毛を剃っていらっしゃる?そこの毛、かの国では「ムダ」とされてらっしゃいますけど?

さて、何故かムダ毛の立場に立ってみたりしたが、この記事を書き出した理由を説明しておきましょう。

あまりにも脱毛の広告が多いので、「ちょっと毛の処理の歴史について調べてみるか」とふと思いGoogleで「毛の処理 いつから」と検索したら、一番最初に「子どもの毛の処理はいつからするの?幼稚園からでも大丈夫?」みたいな記事が出てきて驚愕したのだ。幼稚園で毛の処理?考えたこともなかった。彼らは一体何と戦っているのか全然わからない。(ちなみに、脱毛の歴史自体は紀元前3000年くらいからあって、「敵に毛を掴まれないように剃った」という記述しか頭に残っていません。)

でも、思い返してみると私が毛を気にし始めたのは小学校くらいだった。

小5くらいで、どうやら自分が人より毛が濃いのだと気付いた。発端は足だったと思う。夏、プールの淵で友達と並んで座って足をぱちゃぱちゃしていたときに、人によって足に毛が無い人がいるということに気づいた。

何故だかわからないが、毛は無いのが正しいのだと思った。多分、どこかでそういう刷り込みがされていたのだと思うが、とにかく気づいた瞬間から毛は悪だった。

そこから私の長い戦いが始まった。始まってしまった。なんせ人間というのは新陳代謝をしたりするものだから、毛との戦いには終わりがない。母が使っていたカミソリでせっせと毛を剃っていたし、当時は100均で売っていた「脱毛パフ」みたいなやつが人気(今の名前だと「ムダ毛クルクル」、スポンジみたいなやつで肌の表面をクルクルこすると毛がなくなる)で、お小遣いで買って腕毛をそれで根こそぎ刈り取っていた。

中高の授業中、暇があれば指毛や腕毛をせっせと抜いていたし、ワキ毛だって家でピンセットで一本一本抜いていた。剃ると埋没毛ができて見た目が悪くなることがわかってきたので、とにかく抜いた。思春期における「抜いた」は女子なら「毛を」になる。そのくらい抜いた。

大学にもなると、だんだんみんなレーザー脱毛に手を出し始める。ここで毛との戦いに終止符を打つ人と、長い戦いを続ける人で分かれ始める。前者は「いいよお、やりなよ、おすすめだよ」と言い続け、後者は「いいなあ、やりたいなあ、でもお金がなあ」とか言いながらシェービングを続ける。

さて、今の私の戦況はというと、まず海外に来たので色々サボり始めた。だって、ちゃんとしてなくてもそれが大多数なんだもの。自分が気になるかな、というレベル(だいたい1週間に1度とか、下手すると1ヶ月放置)でようやく処理をするくらいである。ムダ毛の基準が「誰かに見られたら恥ずかしい」から「自分が気になるから」に変わった。歳のせいもあるかもしれないが、でも日本にまだいたら2日に1回は剃っていただろうことは確信できる。

しかし、海外に来たおかげかどうかは知らないが新しい脱毛に触れる機会もあった。

そう、ブラジリアンワックスと医療脱毛だ。

光脱毛なんて生易しいものではなく、今述べた二つはもうアレだ。ほとんど拷問に近い。戦地は主にVIO。どうでもいいが、こう書くとDMZ感が出るな。

ブラジリアンワックスなんて「毛って、ほんと毛穴にしっかり根を張ってるんですね〜!」というのを実感できる。

だが、この拷問は痛みよりもその施述中の羞恥的なところが最もキツイような気もしている。

一番拷問だったのは、ブラジリアンワックスのお店に行ったときに、スタッフさんが「では始めま〜す!」と私の股を開き、「Wow!!?」と声を上げたときだった。スタッフさんは3秒くらい固まったのち、何故か恐る恐る私のワキを確認した。なんだかすごく恥ずかしかった。異国の全く知らない人とは言え、一番人に見られない部分を確認されて「Wow!!?」と言われるのはちょっと狂いそうなくらい恥ずかしかった。これは友達にも笑い話として話す気にもならなかったので、ここで初めて書く。ちなみに、ワキは剃ってあったのでスタッフさんは安堵して(何に?)何事もなかったかのように施術を再開した。

医療脱毛に関しては、これはもう痛すぎて毎回泣いていた。まず、干からびたカエルみたいなポーズで台に横たわって施術を受けるのだけど、バチっとレーザーが当てられるたびに、カエルが跳ねるように私も跳ねる。一番痛いスポットに関しては「んグァ!!!」と精一杯我慢したのに漏れてしまった声とともに跳ねる。跳ねるし涙が頰を伝う。いつも半分くらい正気じゃなくなって「今すぐやめてください!!」と言いそうになる。これが拷問じゃなくてなんなのか。全てのレーザー照射が終わってスタッフさんが丁寧に処理をしてくれているときにようやく正気に戻り、カエルの行為を思い出して恥ずかしさで死ぬ。

そんな戦いを終えたので、今はちょっと休戦中とも言える。DMZもといVIO。休戦地帯なので、毛を根絶したわけでは決して無いのだが、もう拷問を受ける気にもならず、周囲の無関心さも合間って、今は「ムダ」を敵視していない。

だから、脱毛の広告が出るたびに「ムダ毛が一体何したっていうんだよ」という気持ちになってしまうのだ。私はみんなが変な固定観念に囚われずに、健全に自分の毛たちと付き合っていける世界を切望している。

(この記事は若干生々しい内容になってしまったため、アイキャッチ画像を愛しい毛玉にしました。)

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