未来はボロボロでも何故か心は満ちる
自分がこの状況でそこまで追い詰められていないからこそ言えること、つまりマリーアントワネットの戯言みたいなものなのだが、必死こいて何かをしなくてもいい・気をちょっと抜いても免罪符がある状況でわたしの心は非常に充ち満ちている。
やろうとしていたことは立ち消えた。葛藤していたこともなんとなく、まあいっか!という気持ちになっている。
そうするとどうだろう、あんなにギスギスと、稼がなければとか思ってた気持ちも少し緩んで、「定時で帰れるゆるめの仕事してさ、なんか穏やかな人と結婚して、ゆるりと暮らすとかもいいんじゃな〜い!?」と心の中のヒトが言っている。どんなキャラなんだと自分でも思うが、これはアレだ、心の中の駐妻だと思う。
完璧に駐妻に対しての偏見に満ちている発言をするが、彼女たちはいつも余裕があって、昼間の時間をヨガとかランチに使って、ブログ書いて、一部の人はいい感じにパート的なお仕事をするヒトもいて、なんだかゆったりと優雅に過ごしているイメージだ。
(もちろん実際は慣れない土地での暮らし、ギスギスしたコミュニティ、働きたくてもビザの関係で働けず、孤独、子育てが大変、などあるだろう。自殺する例も聞く...。)
自分は今まで自発的に向上心を持って行動していたのだと勘違いしていたが、実際は周りを見て向上心を持たなければならないと思い込んで向上心を持っていただけだったことを思い知った。
水族館のチンアナゴが穴から出ないとお客さんに喜ばれないように、わたしも穴から出て社会に向かって「ここにいるよー!」「頑張ってるよー!」とやることで誰かの関心を引こうとしていたのだった。
心の中の駐妻は最近、わたしに向かって「やだ〜!頑張ってんじゃ〜ん!でもね、頑張らない人生っていうのも結構いいんだよ〜!?」と騒ぎっぱなしである。(すべての駐妻のみなさまに謝りたい。)
そういうのもアリなんすか?マジっすか?頑張らない人生、アグリーです。イケてますね!
在宅期間が長くなって少しずつ狂ってきているのかもしれないが、再度自分の欲求や価値観と向き合う機会になっているとも言える。アフターコロナとやらがいつになるかはわからないが、もう少し心の中の駐妻の声に耳を傾けて、コンセンサス取ってみようかと思っている。
ただ一つ確かなことは、わたし、やっぱり家が好きだよね。家にいると幸せだね。
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