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物書きの定義。『歴史小説家編』

なにやら難しいテーマ。
これから勝手持論を展開。 
小説家や物書きは言葉が泉のように湧くのかと思いきや、そうでもないらしい🤔
 歴史小説でも書こうものなら、下調べや資料収集取材足るや並々ならぬ努力があって、その土台があってこその想像の賜物。 

歴史作家の司馬遼太郎さんの取材ノートは有名で緻密に検証に検証を重ねて、更にまた調べあげる。自身がまるで本人に成り代わるくらいの意志がないと壮大な歴史小説は書けないだろう。 

あの天才と言える故三島由紀夫でさえも、様々なジャンルに精通していたが取材ノートの数は半端じゃなかったようだ。 

三島由紀夫が生きた時代は今から50年以上前、今のようにスマホもなければワープロ(死語)やPCもない時代、ひたすら筆記する。 

確かに筆記は脳に大きな刺激💥を与え記憶力にも影響する。 

以下Internetより参照。 

記憶を司っているのが大脳辺縁系の中にある海馬と呼ばれる部分で、その海馬は左右側頭葉の奥にそれぞれ1個ずつあり、五感をはじめ、あらゆる感覚器官が受け取った刺激が電気信号のように変換されて集まってきます。 海馬は信号を整理し、一時的(数ヶ月程度)に記憶を蓄える働きを担います。 

http://www.inship.jp/sp/special/1503/1503_04.html 

とのこと。 

ただ私の中の疑問はいくら文献歴史を調べたところでタイムマシンで過去へ遡って実地見聞した訳ではないのであるから、あくまで自身の推論と資料を照らし合わせての歴史小説。 

我々はそれを通して更にイメージを膨らませて、その当時のその人物や歴史背景を知ることになるのだが、はたして、真実は如何なものなのか⁉️
誰もわからない。 

また史実と称され参考文献として後世に色々残されてはいるものも果たしてその中にどれだけの真実が隠されているのでだろう。 

歴史とはいつの世も時の権力者が自分に都合よく書き換えられたもの。 

ある程度、我々もそれを頭の端に置いとかないと書かれたものが全て事実と錯覚してしまう。 

これから先、未来になってタイムマシンが発明されて過去に行くことが出来るようになれば世界の歴史は全て書き換えられるだろう。 

そして、その事実を知れば、世界は飛躍的に変わるかもしれない。 

なぜなら今の世の中は嘘で塗り固められた史実の中で生まれた現実世界だから。 

本当の歴史を紐解けば、世の中は飛躍的に進歩し変わるのではと想像してやまない。 

今の作られたパンデミック、コロナも嘘から出た真(まこと)。この事に世界中の人々が気づけば世界は一瞬にして変わるだろうと私は思うのである。 

最後に物書きの定義からは外れてしまったかもしれないが、物書きとしての感性を磨くには常に新しい知識の流入が必要であり、常に前向きで探究心がないといけない。それが失くなれば書くという行為は枯渇する。


#essay #日記#徒然日記#ものを書くと言うこと#つぶやき#呟き#備忘録

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