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『たかがHERMES。されどHERMES。』私のゴールデンエイジの軌跡。。。。🥺💘

その昔、私はエルメスフリークだった。

当時といっても今から30年前のこと。

世の中にまだInternetすらなく、HERMESについても世間ではケリーバッグぐらいしか知名度がなかった時代のことです。

今のように目抜き道路に各ブランドのお店が軒を連ねるどころか、せいぜいデパートの中に差程大きくもないHERMESの売場があったくらい。

それが1986年に大阪梅田にヒルトンホテルが出来た。

正式にはHERMESショップ自体、いつからホテルの中に入ったかは定かではないのですが、当時私が行き出した頃には大きなHERMESショップが中に入っていて、ホテルの入り口からも見える大層高級感漂うお店で普通なら入るのに尻込みしそうな雰囲気を醸し出していました。

そうこうしている内にあちこちにHERMESショップが出来始め、大阪ならばリーガロイヤルホテルや帝国ホテル等にショップが入り、HERMESブームと平行するように新しいお店が出来出していました。

無用の長物となったスカーフたち

当時はバッグも予約すると半年くらいで入荷し、何よりの楽しみはHERMESだけにしかない『革見本』なるものがあり、バッグの種類を選んだら、その次はバッグの素材を選び。

そしてオーダー完了❗

当時は手元に届くまで半年くらいでした。

そのバッグがパリから送られてくるまでの期間、ワクワクドキドキと期待を膨らませて待つのです。

待つのも楽しからずやでした😊🙌

それがエルメスを持つ楽しみでもあり買う楽しみでもあったのです。

価格も確かに他のブランドからみたら、当時もかなりの高額でしたが、今のような法外な価格ではありませんでした。

いつの頃からあんなにも高くなってしまったのでしょうか⁉️

今はケリーバッグ1個で軽自動車1台買えるような、下手をすれば、まだお釣りがくるかもしれません。

かつての無駄遣いの産物
今は無用の長物たち

その話はさておき、

私がエルメスフリークになって、そう、5、6年経った当たりから、Windows95、つまりInternetなるものが少しずつ普及しだし、漏れなく私も即効パソコンを買いました。

当時はパソコン教室もほとんどなく、私は当時電車を乗り継いで大阪城に程近いツインタワーの前に富士通があるのですが、そこの富士通マイゼミナールでword・Excelと簡単なホームページの講習を受けに行きました。確か、1996年のことです。

そう、まだまだパソコンも高価でWindows95の時代です。

そこから独学でホームページの作り方を勉強しました。

当時はやっとホームページビルダーなるものが機能に優れていましたが、

それ以外はソフトといっても簡単なドラッグして文章や画像を埋め込む形式のものでホームページが作れました。

それで満足出来なかった私は、まずHPを作るには、本格的なホームページ (HP)の基本プログラムであるHTML言語、タグを勉強する必要があると思い、タグ辞書を買い独学で勉強しました。

たまたま知人でSEの方がいらしたのでその方のお陰、サポートもあり、私は人よりも早く知識を習得することが出来ました。

最終的に当時まだ少なかったWeb デザイン・ホームページ製作の仕事を始めたのです。

趣味が高じて趣味が仕事になったのです。

当時は既にちゃんとしたホームページ製作会社もありましたが、私も幾つかの企業のHPの企画・構成・編集を全て一人で遣らせていただきました。

当時は1つ作ると50万くらい貰えました。

今の価格・相場は皆目検討がつきませんが。。

そこで、私は会社を立ち上げようと主人に相談すると、忽ち主人に反対され、あえなく断念😢

なぜにそんなにも、簡単に諦めるのかと言われそうですが当時はそれなりの理由があったからです。

主人の母はずーっと仕事をしていた人で主人の父も事業家。

主人は幼い頃から住み込みの女中さんに育てられ、自分の子供にはそういう思いをさせたくないという考えの人でした。

だから、私が仕事を持つことに強く反対したのです。

話がいつもの癖、HERMESから離れてしまったので話を戻しますが、

私はHERMESが好きだったので、当時はまだHERMES自体、公式サイトがなかったのでHERMESサイトを立ち上げたのです。

それは思わぬ反響を呼び、フォロワーというより短期間で総アクセス数30.000を越え、話題のページになり、パソコン雑誌などでも紹介されたことがありました。

当時まだそんなにもHERMESがブームでなかったため、私はいつも行くヒルトンのHERMESの顧客となり、私専用の担当者もおりました。

ソルド(sale)の案内や新作のご案内。はたまた年2度春と秋のファッションショーにも招待されました。

当時は昔からのHERMESの関西一円在住の顧客が招待され、毎年ヒルトンとリーガロイヤルで交互にショーが年2回開催されました。

大きな広間に円卓が10卓、いや、それ以上だったかも分かりませんが、1テーブルに8人くらいが座れて、ショーが始まる前に紅茶やコーヒーや簡単なお菓子が用意され、しばらくするとそのシーズンの新作のショーが始まるのでした。

その後、後ろに新作の商品が置かれていて受注会が始まりました。

その後、段々とHERMES人気と空前のブームになり、お店の顧客だけではなく大阪にある各デパートの外商のお客様までがショーにくるようになり、

今までのようなゆったりお茶を楽しみながらショーを見る形式はすっかりなくなり、一気に会場に300名程いれるようになってからは折り畳み椅子へと変わり、優雅さも品もなくなってしまったのです。

即売会も下にあるお店で見るように代わり、担当者も顧客を何人も抱えるので一人一人のお客様には手が回らない。

そうこうしている内にバブルと空前のHERMESブームが重なり、半年で手に入ったバッグがなんと10年待ちに…。

革見本も動物愛護の問題でごく限られた革の中からしか選べず、それも色すら指定できないという形に変わってしまいました。

今では50万円だったケリーバッグが物によりますがほぼ4倍の200万円。

それでも今のこの不景気に買える人はバンバン買う。格差社会の縮図をみるようです。

少し話を戻しますが、私がHERMESサイトを立ち上げ、みなさんの知りたいと思う最近のファッションの傾向やショーの様子などを自分のサイトのコラムなど様々な情報を発信しました。

そうこうしている内に、あっという間に先程も申したように、3万アクセスを越え、海外在住の日本の方々から現地のHERMESショップのソルド情報やこんな新作がでたとか今これが流行ってるなどという情報がパリやロンドン、ニューヨーク🗽、シドニーなど様々な都市に在住している方々からHERMES情報が寄せられたのです。

みな、メールで寄せられるのでその情報をメールを下さった方に許可を得て、『読者の広場/リーダーズ スクエア』と題し、一般に公開しました。

その後掲示板という相互の情報交換の場をサロンと題してパスワード🔑を発行し、フリーメールお断りでサロンを主催しました。

当時はまだHERMESの正式サイトがなかったので公式サイトと間違われたこともありました。

サロンでは各ファッション関係の女性誌のスタッフがサロンの会員になり、わたくしのサイトがどこよりHERMES情報の発信場所になったのです。


そのために某ファッション雑誌からオファーを頂き、その雑誌の見開きででる予定でしたが、ドタキャンになり本に載ることはありませんでした。

かえって、出なくて良かったのですが、。苦笑。

当時はなんとかHERMESも買わせて頂きましたが今は斜陽の一途。HERMESなんてとても買えません😅🙅‍♀️

それでも、当時は随分と主人には贅沢させてもらいましたが今は無理というより関心がありません😂

にしても高すぎます。最近はHERMESに限らず、どのブランドも0が桁が1つも2つも違ってまず手が届きません。苦笑。

今振り返るとあの時はまさにバブルの申し子、私のゴールデンエイジ、黄金時代だったのです❗

ですが、HERMESは、やはり作りがしっかりしていてアフターケアも万全。高いだけではありません。それなりの価値を備えた老舗ブランド。

最後に

たかがHERMES。
されどHERMES。

で私の軌跡を終わります。

最後まで読んでくださってありがとうございます。。🥺💘


2020/9/9追記。

ここでHERMESに纏わるある友人の話を紹介します。

ごく身近な私の男性の友人の話で恐縮なのですが、当時乗馬を習っていて、自分専用な馬がほしくなり、ドイツから馬を購入し、乗馬クラブに飼育をお願いしていたのです。

その彼が急にHERMESに塡まり出し、その自分の馬の馬具を全てHERMESで調達したのです。

元々HERMESは馬具商から始まった老舗。

関西でも流石にHERMESで馬具を買うような方は彼を含めて二人しかいないようで、それ以来彼は自分の身に付ける物を全てHERMESで揃えだしたのです。

年間、かなりの額の買い物をしたらしく、その年に一般開催されるショーとは別にスペシャル顧客だけが招待されるショーというよりはディナー🌃🍴に招待されたのです。

その時、彼は関西在住だったために、東京までのご夫婦の✈️チケットと東京ペニンシュラの宿泊券付のご招待を受けたのです。

パーティーは高田馬場にある乗馬の練習場を貸切、その中で行われるショーには本物の馬も使われていたそうで彼は驚いたそうです。

回りを見渡すとHERMESのスタッフも含めた総勢100名くらいのパーティーで灯りはキャンドルのみの幻想的な雰囲気を醸し出していたそうです。

回りを見渡すとそこにいる自分だけが場違いのような今の時代、HERMESのバッグは買っても馬具まで買われる方は流石に少ないようで貴重な存在だったのでしょう…

そこに集う方のケリーやバーキンは彼が目にしたことのないスペシャルオーダー品のバッグの勢揃いだったそうです。(ダイヤやらファーやら様々なoriginalバックばかりだと…)

世の中には私たちが考えられない桁違いのお金持ちがいらして、彼は自分の知らない世界を垣間見たようだったと感想を述べていました。

最後に、結局彼は馬の月50万以上かかる管理、飼育代のために馬は手放したようですが、いまだにHERMESフリークではあるようです。


かつて、似たような記事を書いていたのでこちらもご紹介します。重複しているところがかなりありますが関心があったら覗いてみてくださいませ🙇💕


coucou@note作家様
また新たにこの記事までご紹介下さりありがとうございます🙇🍀♥️
とても励みになりますm(_ _)m💕


ももまろ様
貴女が新たに運営されてらっしゃるサイトにて記事のご紹介とても嬉しく今後の励みになります。本当にありがとうございます🙇💘



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