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日本酒は努力を怠ったのか 「一人負け」の背景探った(朝日新聞デジタル)に思う事②

この記事は、下の記事に基づいて、素人が、業界人の気持ちなんて忖度せずに、日本酒カーストの底辺から、僻みも込めて、率直に思ったことを書いています。

酒蔵は頑張っているけれど…

日本酒業界の人で、この記事をはじめ、ニュースサイトに上がってくる日本酒関連の記事や、5ちゃんねるのような掲示板で、日本酒が取り上げられている時、その内容やコメントを読んでいる方ってどれぐらいいるだろう?
と私は疑問に思いました。

そして、酒蔵は、美味しいお酒を造ろうと努力して、技術も向上し、酒質自体も上がったし、フレーバーも広がったと書きました。

それにも拘らず、ニュースサイトに上がる記事や、SNS、掲示板のコメントには、正しい情報や知識をコメントしている人がいる一方で、情報や知識がアップデートされていないのも、多く見られました。

私が、日本酒関連の人が、こういったものをちゃんと読んでいるのか疑問に思ったのはそれがきっかけでした。

そこから、私が感じたこと

例えば、ワンカップ大関、誕生から50年超の看板商品が立ち向かう「ロングセラーの宿命」という記事があり、そこのコメントには
『大手メーカーのワンカップは良くも悪くも昔ながらの「the日本酒」ですよね』
とありました。

これを読んだ時、
「そうそう、その安酒のイメージがあるから、日本酒は売れないんだ」
って考える人もいると思うんです。
でも、実際は、今回取り上げた記事にもあるように、大衆酒と言われる大手のパック酒は、味も質も向上していて、日本酒のコンテストでも上位に食い込んでいます。でも、古いイメージのまま。

それ以外にも、日本酒は開栓直後が一番おいしい。蔵元は、一番おいしいと思うタイミングで出荷している。日本酒は足が早いので、すぐに不味くなる。料理に合せにくい等。
日本酒に興味ない人だけじゃなく、日本酒好きの中にも、そう思っている方もいらっしゃるよう。

前の投稿にも書いたのですが、酒蔵は努力していて、技術も向上。
開栓直後じゃなくても美味しく飲めるお酒もあれば、寧ろ暫くしてからの方が美味しくなるお酒もある。
バラエティーにも飛んでいる。元々の素質として、冷酒から燗酒まで楽しめる、鉄分がないので、生臭みが出にくかったり、料理に合わせやすいのです。

ところが、そのことが知られていない。
そりゃ、蔵元でも「ひやおろし」と「秋上がり」の区別がつかない人もいるんだから、仕方がないよ。

でも、一方で、熱い日本酒ファンの人たちは、日本酒業界の人でもないのに、資格を取ったり、自分たちで研究や勉強して、わかっていたりする。

だから、
「そうそう、日本酒の正しい知識が広まっていないことが問題なんだ!」
「みんなに詳しくなって貰おう!」
っていう話じゃないんです。

確かに、それも、問題ではないわけじゃないんですが、話をうまうつなげられていないかもしれないのですが、私が指摘したいのは、そこじゃないんです。

日本酒の動画を見て感じた事


酒蔵が頑張っているのは、技術面だけではありません。
最近は、動画配信に力を入れている蔵もいます。
それは、知って貰いたいっていう気持ちの表れなんだと思うんです。

でも、それを見ている人たちは、どんな人たちなんでしょう?
その内容は、その酒蔵や飲食店の贔屓じゃない人が見ても、共感出来たり楽しめる内容なんでしょうか?

そもそも、そういう人たちを、ターゲットにしていないというのなら良いのです。
疑問に思った私が悪かったっていう話ですよね。

これは、あくまでも私感になりますが、
見て面白かった動画と、楽しめなかった動画を、自分なりに考えてみたのですが、
楽屋落ちかどうか、つまり、自分たちの仲間内や、好意的な視聴者だけが共有できる世界なのか、そうじゃないのかの差だと思いました。

勿論、送り手側は、お酒にしろ、動画にしろ、送りたいものを送り、必要ないなら、買ったり、見なくても良いという権利があります。
そういう考えなら、他の誰かに媚びる必要もありません。

けれど、もし、知らない人にも知ってほしい、飲んだことない人にも吞んで欲しい…と思うなら、話は別だと思うのです。

絆でもあるけれど、共通認識という限られた空間

特定の愛好家のグループに参加していると、多数意見というのか、その世界の人間で共有できる、価値観や、常識、正義みたいなものが生まれる時があると思うんです。例えば、
「コロナ禍で、航空会社が困っているので、みんなで飛行機に乗って応援しよう」
と、誰かが言った時、航空会社への愛情が強い人たちの集まりの中と、それ以外では、温度差があると思うんです。

日本酒でも同じで、内容に関わらず、酒蔵や、日本酒側に理解を示そうとしたり、寄り添おうとする人が、日本酒の愛好者と、それ以外の人では、おそらく温度差があるでしょう。

そうやって、寄り添おうとしたり、理解を示そうとすること自体は、それぞれの判断なので、別に問題はないのですが、多数意見である事と、物事の適格性とはまた別の話。
けれど、その多数意見ばかりが耳に届いて、そうじゃない意見が聞こえてこないと、まるで、その多数意見が正しいかのような錯覚を覚える。

私が見た動画で、自分が入り込めなかったものは、それに近い気がしたんです。
蔵元や飲食店が言った事に、勿論、ひいき目無くても賛同されていたのかもしれませんが、自然と寄り添う人たち。

そんな状態が生まれる背景には、それだけ日本酒や、それを醸している蔵が魅力的だという証拠でもあると思うんです。
そんな、自分の世界をわかってくれる人たちを大事にする。それは、繋がりを大事にする日本酒らしい一面だと思います。

それに、そういう、解ってくれる人だけに解って貰えればいい、というのなら、それで良いのだと思います。
勿論、媚びて流行りの酒を造れなんて、これっぽっちも思っていません。

でも、そうじゃないとしたら…
私は、その事が問題点を見えにくくしていたり、理解のある日本酒ファンと、そうでない人の間に温度差を生み出していること、伝えたいことが、積極的日本酒ファンに伝わっていない事の、ひとつの原因なんじゃないかなって思いました。

伝えるという事

基本的に、物事は、全ての物がわかりやすくあったり、誰にでも伝わらなくてはいけないと、私は思っていません。
でも、もし、わかって欲しいと思うのなら、伝えたいと思うのなら、時には自分の殻を破ったり、努力することも必要だとも思っています。

アルコールを飲まない人が増えているそうですが、とりあえず、20歳以上のアルコール耐性がある人なら、お酒を吞むことは可能です。
日本酒もその中に含まれていますが、仮に、日本酒を提供する側が、そのハードルを上げていたり、自分たちに寄り添う事を要求していたら、それが一つの限界になるんじゃないかと、私は思っています。

面白いと思った動画は、買ってくださいなんて言わなくても、自然とそのお酒に魅かれるんです。
なんの違いかなと思ったんですが、伝えたい内容ではなくて、見ている人に何かを伝えようとしている姿勢が、感じられるんです。

お米の説明をするとか、ペアリング例を紹介するとか、そんな話じゃなくて、見ている人の事をどこかで考えながら番組を作っている。
だから、面白かったり、心地よい空間がそこに自然と生まれている。
意識しているかどうかは別として、画面を通してですが、目の前の人に対する愛情と、客観性を感じているのかもしれません。

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