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気持ちを目印にして

だれかの気持ちを目印にして、わたしはずっとわたしでいるんだと思う。
この気持ちが誰のものであったか、誰からもらったのか、忘れないから、自分の中で、地図のように在る。
気持ちを頼りに、わたしはわたしのかたちを保つ。
紡ぐように、編むように。

集めたものを、ばらばらにできないように定着させることは、わたしには難しい。いつでももとに戻せるように、手順を覚えて置こうとするから、あんまりたくさん持っていられない。
だけどわたしは、出会ったひとのことを、忘れずに覚えておくから、いつかどこかで思いがけない関わり方をすることもあるから。
わたしはそれを生きていることと思っている。忘れずにいることは、ひとつの、生きている証だなあと思う。生きているからこそ、忘れてゆくことはあるけれど。
覚えておく、ということは、たいせつなことだなあと思う。
からだは、体だなあと思う。五感は記憶を結びとめる。結んでおくために体がある。

形になることを怖がっている。
わたしは、ただ、結びとめておくための体でいたいのだと思う。
誰かに渡すための。誰かをつなぐための。
だけど嬉しいことがあるときに、わたしはたくさんの気持ちで満たされて、嬉しいことってかんたんに結べなくて、あふれてしまう。こぼれてしまう。
勇気を持とうと思う。わたしの嬉しいことは、わたしだから嬉しいんだよ。わたしがこぼしても、他の人には嬉しく伝わらないかもしれない。わたしの気持ちとして、「嬉しい」を放ったときに、きっと誰かにも「嬉しい」として届く。
わたしはわたしの「嬉しい」で生きてたいなと思うんだよ。

だからもっと、「こころのからだ」を大きくして、紡いで、結んで、編んで、誰かに、あなたに、届く気持ちでいたいなと思うんだよ。

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今日の絵は、途中の絵。もっとたくさんの線で埋めていく、まだまだ途中の姿。だけど、途中の絵をふっと見ると、これで完成にしてもいいくらいきれいな絵に見えることもある。

終わり方が分からないのかと心配になることもあるよ。だけど、そんなことはない。「今日はこの絵と向き合えた」と思えたとき、自ずと次の気持ちを探し出す。
埋め尽くされた色を見たとき、そこにさまざまな気持ちがあることが分かる。わたしの絵は、わたしの気持ちを覚えていてくれる。

いつでもほどける。わたしはそれでいい。
だけど、そのとき結びとめた気持ちは、わたしに力をくれるよ。

愛や、大きな気持ちを、上手に受け取ることができない自分に、ずっと向き合う時間を過ごしていると思う。ゆるやかでも確かに、変化の中にいるのだと思った。もっとおおきくなるよ。




恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。