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雨が降るとさみしい。さみしいはきれい

雨は優しい。
わたしを囲む。雨はさみしい。雨は季節を連れていく。
「さみしい」と安心は似ている。同じかもしれない。さみしいと安心する。安心するとさみしい。
雨が降ると強くなる。一人でいられる。一人でどこまでも行ける。
永遠には降らない。なのに、雨が止まない時、永遠に終わらない時間を過ごしているように思える。
雨が降ると、境界が変わる。
大きな音は怖いけど、稲光が空を割るのを見るのが好きだ。
水がたくさんあるのは少し怖い。目を閉じて顔をつけるのが怖い。
浮力は好き。湿度が高いのも好き。
幼い頃、プールを端まで息を継がずに泳いだことがある、泳ぐのは好きだったと思う、だけどその後具合が悪くなった。要するに加減ができない。我慢できる限界を自覚しない、危険な泳ぎ方だったんだと思う。泳ぎの上手な人は加減を心得ている。

いいことも悪いこともある、美しいことも恐ろしいこともある。その荒々しさを知っていてもわたしは自然の持つ力を美しいと思う。だから知恵をもって、間を縫って生きたい。わたしは生き物だと思う、恐れても、ここで生きていたい。

抗おうとしても、世界は変わっていってるんだよ。
絶えず変わっている。世界は一度も完成しない。
常々思う、完成したら世界はそこで「終わり」なんだろうと。
消えるのか、動かなくなるのか、どういう姿が「終わり」なのかは分からない。

たとえば「命の入れ替わり」が必要なくなるということだと思う。
命が交代していく限り、きっと完成することは無いんだと思う。
わたしは、「完成して終わる」時はどれだけ美しいだろうかと思うのだ。
それがひとびとの描く「理想」だと思うのだ。

「終わる」のは悲しいことじゃない。悲しみがあるならばそれはまだ終わりではなくて、続いていくために意味のあることなんだと思う。
ただ今痛みの中にあるひとにそんなこと言えるわけがないのだ、だからわたしは思う。ただ思っている。

わたしがわたしでいるしかない。
あなたの痛みは、あなたのものだ。あなたが持っていていい。代わりに持ってあげたくても、わたしは、美しい痛みだと思うことしかできない。痛みのままで代わってあげることができない。
あなたが抱えていてくれる。
誰かに分からせてあげるために、誰かを分かるために、形を変えてあげる必要はないんだよ。けれど、形を変えて伝えたものが無意味だとは思わない。それはまた別の価値になるものだ。
同じでなくていいと互いに分かり合うのには時間が要る。
あなたがその時間を割く相手は、あなたにとって大事なものでいい。

わたしは、
わたしはどうだろう。
わたしは声をかける。わたしは名前を付ける。
何に?命を感じるものに。温度を感じるものに。「在る」と感じるものに。
わたしはすべてが「在る」ようにしたいんだよ。
誰もが犠牲と思わずに、互いに自分の一部を差し出すことが自然と成り立つような、その「理想のような」何かが在るために、わたしができることはそこにあると信じている。

雨と共に暮らしていけるように、たくさんの水にただ浮かんでいられるように。
泳ぎの得意な人がいてくれるから、生活を安全に保つ技術を扱う人がいてくれるから、守られているものがあるように。

在るようにする。
何の役にも立たなくていい。だけどきっと何かの役に立つだろう。
だってそこにあるんだよ。いるんだよ。意味がないことなんか何もない。わたしは意味を見つける。みんな存在するだけでいいんだよ!
世界は存在するだけでいいんだよ。
存在する。
それだけであまりにもきれいだ。

雨が降るとわたしの心は憤る。言いたいことが言える。雨は優しい。


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恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。